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エチオピアに魅せられた地域研究者が
オリジナル地下足袋で歩き続ける協奏の旅【前編】

東アフリカの一国で、面積は日本の約3倍。農業を中心に経済成長をめざすエチオピアをフィールドワークの拠点とし、これまでの調査渡航は20回以上。現在、経済学部現代経済学科で「アフリカにまつわる企業と起業」のゼミナールを担う田中利和准教授は、エチオピアの地域研究者としても注目されています。研究のキーアイテムとなっているのが、自身が核となって創り出したエチオピア産の地下足袋「エチオタビ(Ethio-Tabi)」です。今回は研究者の道に導いたエチオピアとの出合い、そしてエチオピアの牛耕で活躍した地下足袋について詳しく伺います。

編集部:最初にエチオピアを訪問したのは、中学生の時だったそうですね。

田中: 私は東京の立川生まれで、幼いころの夢は電車の運転手。団地暮らしのごく普通の子どもでした。13歳のある日、団地に生徒募集のチラシを貼っていた英語の先生が、紹介してくれたのが、アフリカで2週間過ごすスタディーツアー。いろんな世界を見たい!人が行かないところに行ってみたい!と応募。初の海外旅行がエチオピアとなりました。当時の記憶で鮮明に覚えているのが、土の匂い。エチオピアに来たのは運命じゃないかと思うくらい、すべてのものが自分に訴えかけてきました。一番感動したのは、そこに生きる人そのもの。服はボロボロではあるけれど、こんなに生きるエネルギーに満ち溢れた人がいるのかと。エチオピアの農村の人たちの謙虚で、したたかで、美しい姿に感動しました。また、いろんな現場を見学する中で獣医師・野田浩正さんにお会いしたことも大きな転機でした。牛耕に欠かせない牛を治療する野田さんが、農村の皆さんから尊敬され、慕われている姿を見て、「こんな日本人がいるんだ」と驚き、私も将来はエチオピアの人のためになる仕事がしたいと思うようになりました。

編集部:スタディーツアーから11年を経た2007年、フィールドワークのためエチオピアに再来された時のことをお聞かせください。

田中:東京農業大学国際農業開発学科で世界の食糧問題について学び、そこから京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科に進学して人類学と農業研究を専攻。アフリカで2000年以上続くと推測されている、牛と耕す農法に関する研究はあっても、耕す農民に関する研究はなされていなかったのでこれはチャンスだと。再び飛び込む機会を得たのが25歳の時でした。10代で魅せられたエチオピアは、10数年経っても何も変わっていなかった。美しい目をした現地の人たちとの生活には、ワクワクしかありませんでした。5〜7月の牛耕期以外は、ゆったり暮らし、日本と全く違う尺度で生きている。彼らの生活に浸れば浸るほど、僕との相性がいいなぁって。どんどんエチオピアが好きになっていきました。

編集部:好相性なエチオピアにも、田中先生を苦悩させる難関があったとか。

田中: 最初の難関はノミダニ問題です。エチオピアはバックパッカー界で世界一痒い国と言われているほど、ノミダニがひどい。お腹のまわりは赤いチャンピオンベルトを巻いているような状態になります。最初は気が狂うような痒さでしたが、3ヶ月ほど経つと抗体ができるのか痒さが遠のきました。ノミダニの難関は時間が解決してくれました。でも次の難関は時間が解決してはくれない。牛が耕した黒土で生じる激しい痛みでした。例えるならば、ガラスの破片の上を歩くような痛みです。実際に切りますし、血も出ます。現地の人は裸足で畑に入っていましたが、僕は痛みで一歩も動けなくなりました。

編集部: エチオピアの畑には赤土と黒土があるそうですが、わざわざ黒土の土地で農業をする理由があったのですか?

田中:ここ数十年でエチオピアの人口は増え、人口は増えてきましたが、この地域では対応するため赤土を上手に管理する、新しい作物を導入する、援助なども受け入れるなど様々なことをしてきました。そのうちのひとつが積極的に耕地としてつかわれてこなかった黒土の活用であると考えられます。国際援助やいろんな手法で不足をカバーしていて、そのうちのひとつが黒土のエリアを活用した牛耕です。以前は赤土の範囲だけで農業をしていたようですが、40〜50年前から黒土を開墾し始めたと聞いています。食糧難によって、黒土で農業をせざるをえなくなったのです。赤土は万能なのでどんな作物でも育てることができますが、黒土はエチオピアの主食であるテフとマメ科の植物意外は作物が育ちにくい、扱いづらい土なのです。

編集部:黒土の畑で感じる激痛から、どうやって解放されたのでしょうか。

田中: 現地で調達できるいろんな履き物を試し、靴下を履けば痛くないという大発見もしたのですが、2時間も経つとやぶけてしまう。しばらくはポッケに靴下を何足も入れて調査を進めていました。そんな中で思い浮かんだのが、日本の農家実習で履いた地下足袋。でも、次回のフィールドワークで地下足袋をエチオピアに持ち込むかどうか、フィールドワーカーとしては葛藤がありました。ずっと続いてきた農法を純粋に調査したい、余計なファクターを持ち込みたくない、という思いがありましたからね。じっくり考えた末、僕の調査に不可欠なギアだと位置付け、日本の地下足袋を用意してエチオピアに戻りました。連日履き続けると部分的に破れることもありましたが、布や革で補修しながら、牛耕期間のおよそ3ヶ月間、履き続けることができたのです。

編集部:黒土の畑に入るのは、現地の人にとっては容易いことなのでしょうか。

田中:エチオピアの人からすると、地下足袋って未知の履物。「(先が割れていて)牛の足みたいだ」と言われました。これまでなかった文化を植え付けたくはなかったので、いろんな人から「履かせろ」と言われても最初は貸さなかったのですね。でも断り続けているうちに「私たちの足だって痛いんだ!」と雷を落とされて。僕は自分の痛さに気を取られ、自分の足元しか見ていなかったけれど、実は彼らも同じように痛みに苦しんでいた。足の怪我が原因で農作業ができなくなる農家もいると知りました。痛みはみんな同じだという課題に気づいてハッとしました。

編集部:現地の人の足を守るという、新しい課題が浮かんだのですね。

田中:これは、牛耕と地下足袋にフォーカスして、じっくり調べてみる価値がある。2011年には地下足袋を携えて現地入りし、そこからエチオピア産地下足袋・エチオタビの誕生に向けて、新たな動きが始まることになります。エチオピアで「つくる」「つかう」「うる」「つたえる」という、実践のプロセスを設定。地下足袋の“たび”と旅をかけて『エチオピアと日本の協奏の旅』と掲げたプロジェクトをスタートさせました。

後編もあわせてご覧ください。

 

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Information

エチオピアの農民たちの足を守り、より良い未来へと歩を進めるために生まれたエチオタビ。実物を見て、触れられる特別展のお知らせです。2022年5月8日(日)~22日(日)、龍谷大学の学生が運営している「カフェリタ」(龍谷ミュージアム1階)にてエチオタビ展が開催されます。これまでの研究をこれからの社会につなぐ特別展は、入場無料。興味のある方は気軽に覗いてみてください。
https://www.ryukoku.ac.jp/nc/news/entry-10351.html