2004年に開設された「里山学・地域共生学オープン・リサーチ・センター」を起源とする「里山学研究センター」では、人間と自然との共生をテーマにした里山学の研究活動を行っています。研究に欠かせないフィールドワークの現場のひとつが、龍谷大学の瀬田キャンパスに隣接する「龍谷の森」。研究対象は里山と呼ばれる二次的自然、つまり人の手が入った自然環境です。先人たちが循環させてきた里山に学生と足を運び、持続可能な社会のヒントを探す、谷垣岳人センター長にお話を伺いしました。
今一度「里山学研究センター」の成り立ちをお教えください。
谷垣: もともと1994年に龍谷大学が瀬田キャンパスに隣接する里山林を購入した目的は、山を削って運動場などにするという、教育施設としての活用でした。しかし、そのような大規模な開発をする前には、事業を実施することで環境にどのような影響を及ぼすのか、調査や予測を行う必要があります。その環境アセスメント調査の過程で、絶滅危惧種のオオタカが生息していることが判明し、方向性が一転したのです。仏教を根本とする龍谷大学内で、多様な生物が生きる森を守りながら、研究や教育に活かしていこう、という大きなパラダイムシフトが起き、2004年に「里山学・地域共生学オープン・リサーチ・センター」が開設され、2009年に「里山学研究センター」に改称されました。
センター開設当初から、文系・理系の研究者が集まって里山学を研究されているそうですね。
谷垣: 文理融合型の大学の研究施設、今でこそよく耳にしますが、開設当初は珍しかったと思います。私は生態学が専門なので、基本的には生き物の研究をする時も、論文を学会で発表する時も、生態学の関係者同士だけで交わることがほとんどでした。狭く深く研究するイメージでしょうか。それに対して、このセンターで行われているのは、分野も飛び超えた広く深い学び。里山には生き物だけでなく、自然を利用してきた人々の暮らしがありますよね。里山の自然は人が利用することが前提で、結果的にそこに生き物が生息しています。里山の植物をどのように食べたり、どんな道具に加工してきたのか、といった話は民俗学の範疇だったりします。あるいは、土地の所有の問題で、地域の森をどうやってみんなで管理して使ってきたか、ということに関しては法学部の先生が詳しかったりします。いろんな分野の研究者が「龍谷の森」に集い、それぞれの視点で関わり合いながら、里山の問題を解決していく、というのが「里山学研究センター」の根本にあります。
ありのままの自然ではない、人の手入れを必要とする里山の自然に世界が注目しはじめたのは、いつごろからですか。
谷垣:人間も自然の一部だと考える日本人の昔ながらの暮らしには、生物多様性を持続するサイクルがありました。人が山に入り、燃料となる薪や柴を伐採することで光が入り、いろんな草が生え、草を餌とする昆虫が集まり、昆虫を食べる鳥が来る。里山には、その土地ならではのバランスで成り立つ生態系が存在していたのです。そんな里山などの二次的自然に注目が集まりはじめたのは、1992年にブラジルで開催された地球サミットあたりからでしょう。地球サミットで生物多様性条約への署名が開始されたことを受け、日本でも絶滅危惧種の保全が大きく動き出したんです。日本の絶滅危惧種の約5割が里山に生息していることが明らかになり、そこから里山が生物多様性を守る上で重要な場所だという認識が深まっていきました。
龍谷大学の教養教育科目のひとつ「里山学」では、どんなことを学ぶのでしょう。
谷垣:1・2回生に向け、里山に関する様々な研究結果を伝えています。山の木を燃料にして、田んぼで育てたものを食べて、限られた資源を循環して使い続けることで、弥生時代以降、日本人は定住という暮らしを手に入れました。定住には持続可能性が必要です。どうやって山の木を絶やさずに、採り続けたのか。決して採りすぎない、自分が背負える分だけを運ぶ、人を雇って森に入ってはいけないなど、コモンズの悲劇にならないための独自のルールがあったはずです。都市に暮らしていると、お金を出せば何でも手に入るように感じてしまいますがそうじゃない、資源は無限ではないのです。有限の資源を使い続けることが、持続可能な社会につながる切り口です。里山の暮らしと対比しながら、我々の暮らしのどこが持続可能ではないのか、持続可能にするにはどうすればいいか。授業では、里山を良いお手本と捉えて学生と一緒に進むべき未来を考えていきます。それは自然豊かな里山を参考にした、懐かしい未来と呼べるかもしれません。
研究者も学生も足を運ぶ「龍谷の森」ですが、学外の市民との繋がりも深いそうですね。
谷垣:「龍谷の森」がある土地は、もともと地元の住民たちが薪や柴をとるための薪炭林でした。しかし、この土地を龍谷大学が購入したときにはすでに、倒木が道をふさぎ、人が歩くことのできない荒れ果てた状態になっていました。そこを、市民と地元の子どもたちと協力して道を作り、森に入れる環境を整備。龍谷エクステンションセンターの市民を対象とした自然観察会、里山の恵みを楽しむ会を行うようになりました。自然観察会の発足は「里山学・地域共生学オープン・リサーチ・センター」開設より早く、20年ほど続いていると思います。春の昆虫を探そう、秋に鳴く虫を探そうといった子どもが参加できる親子自然観察会も好評いただいています。そのほか、「龍谷の森」里山保全の会では、伐採した木でシイタケやナメコを栽培したり、ツツジ鑑賞しながら山菜を食べたり、腐葉土でカブトムシを育てたり。市民の方々と一緒に、里山の魅力発見につながるさまざまな取り組みを行っています。
里山の観察、保全を継続してきたことで、再び姿を現した生き物もいるのですか。
谷垣:ササユリという、里山を代表する花が咲くようになりました。木が茂って薄暗い環境では生えなかったのですが、手を入れて明るい光がさすように環境を整えたことで再び自生するようになりました。あとは、地元の人から「昔は松茸が大量に採れていた」という話を聞いていますので、ぜひ松茸山を復活させたいと学生たちと話していて。尾根沿いの常緑樹を切って、落ち葉掻きをやると赤松が元気を取り戻し、松茸が生えてくるのではないかと期待しています。
人が手を入れることで豊かさを増してゆく里山の自然、学生にとって多くの学びを与えてくれそうですね。
谷垣:これまで学生の多くは「木を切ってはいけない」という教育を受けてきました。熱帯雨林の伐採が地球環境問題につながるのであれば、里山の木を切ることは環境破壊なのではないのか、という感想をまず抱くようです。でも、「龍谷の森」で手入れされた自然がちゃんと再生していく様子を見ると、手を入れる重要性を肌で感じます。先人たちにはちゃんと再生する木は切るけれど、大事な木は置いておくという、深い知恵がありました。持続可能な里山から知恵や経験を得る学生を見ると、里山学研究センターがあってよかったと思います。卒業生の中には、里山の獣害被害の現場を見て、「自然の恵みである大切な命を無駄にしたくない」と鹿肉を加工・販売する株式会社「RE-SOCIAL」を起業した人も。そのほか、京丹後市の農村再生のプロジェクトを学生と一緒に立ち上げ、農薬の影響を受けやすい絶滅危惧種のゲンゴロウ類を農地で発見。生物に優しい農法を提案して、「ゲンゴロウ郷の米」という生産者の収益を増やすブランド米の販売につながった実績もあります。