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「子ども期の逆境体験(ACE)」による生きづらさを抱えた人々が不利にならない社会づくりへ

「子ども期に受けた虐待やネグレクトなどの逆境体験『ACE(エース)』が、大人になってからの心身の健康や社会活動に悪影響を及ぼします」と指摘するのは、龍谷大学 社会学部 三谷はるよ准教授。

 

「ACE(エース)」は「Adverse Childhood Experiences」の略です。1990年代からアメリカで研究が始まり、日本では2010年代以降に社会疫学の分野で調査研究が始まりました。現在は、疫学・心理学・社会学など多分野を横断して研究が進められていますが、「ACE(エース)」はまだ一般社会において認知度が高いとは言えません。2023年5月、三谷はるよ准教授による著書『ACEサバイバー —子ども期の逆境に苦しむ人々』(ちくま新書)が刊行されました。ACEを日本語で解説した一般書として、国内では初めてです。

今回は三谷はるよ准教授に、国内における「ACE(エース)」研究の成果と、当事者や支援者が考えたいこと、できることについてお話を伺いました。

社会的孤立の源流を探るなかで行き着いた「ACE」研究

私の専門分野は、well-being(肉体的、精神的、社会的に満たされた状態)が実現するための社会のありかたを考える社会学の分野のひとつ「福祉社会学」と、社会調査データの統計解析にもとづき、社会的事実の把握や理論検証をおこなう「計量社会学」です。

社会的孤立の原因を探るなかで、人が他者に援助を求められない背景には、子ども期に虐待やネグレクトを受けていた、いじめを受けていていたなど逆境体験があることがわかりました。そして、孤立の源流は「誰かとともに生きていきたい」と思う気持ちや、「人に頼ってもいい」という感覚が育まれない環境にあったのではないかという考えに至りました。こういった関心のもとで論文などを調べていくと、海外における膨大なACE研究に行き当たりました。

18歳までの子ども期に親から虐待を受けていたり、家庭に問題があったりする人ほど、その後の人生において病気にかかりやすくなったり、人間関係で孤立したりすることがわかっています。「ACE(エース)」は、日本でももっと注目され、実態を解明されるべきだと考え、ACE研究に着手するようになりました。

成人後の「生きづらさ」は「子ども期の逆境体験(ACE)」の影響かもしれない

2021年、京都大学の教授を代表者とするチームにより、全国に居住する20~69歳・2万人を対象とした「生涯学WEB調査」が実施されました。私は社会学者が集まるウェルビーイング班の一員として、調査設計と調査票作成、集計分析を担当しました。

調査票には代表的なACE項目を入れ、全国サンプルにおけるACE経験率やACEと「健康アウトカム」「社会経済的地位」「人間関係」の関係を分析しました。今回の日本の調査では、上記の表のうち「1つ以上ACE経験がある」と答えた人が38.4%もいました。アメリカでの大規模調査では64%という結果が出ているので、日本のほうが少ないとはいえます。しかし私は日本のACE経験率はもっと低いと予想していたので、ACEは私たちにとって身近な問題なのだということに驚きました。

細かく分析をすると、子どもの時に虐待やネグレクト、家族の精神疾患や依存症など、家族の問題を重ねた人(ACEスコアが高い人)ほど、その後の人生で健康問題や社会経済的な問題に苦しみやすく、人間関係が乏しくなりやすいことがわかりました。医学面からの研究では「幼少期に多大なストレスを長期反復的に受けると、ストレス反応の調節機能が不全になる」「脳のストレスに敏感な領域が委縮したり肥大化する」「遺伝子発現のしくみが変わる」といった指摘がされています。

「毒親」「ヤングケアラー」といった問題とACEが異なるのは、ACEは客観的事実にもとづく、科学的なエビデンスがあるという点です。ACEは、成人後の心身の疾患、失業や貧困、社会的孤立や子育ての困難に至るまで、長期的に悪影響をもたらします。「たまたま生を受けた家族の境遇(生まれ)の格差が、生涯にわたる多面的な格差につながっている」ことが、調査・分析により事実であると明らかになったのです。

ACE当事者にも支援者にも読んでほしい一冊

『ACEサバイバー —子ども期の逆境に苦しむ人々』三谷 はるよ 著

日本にはこれまで、ACEに関する翻訳書はいくつかありましたが、ACE研究について包括的・体系的にまとめた、日本人によって書かれた一般書がありませんでした。その登場を待っていたのですが、「誰かが書かなくてはいけない。今なら自分が書けるかもしれない。一般の方々にもACEを知ってほしい」——そんな使命感で『ACEサバイバー —子ども期の逆境に苦しむ人々』(ちくま新書)を執筆しました。

日本人の38.4%がACE経験者=ACEサバイバーという結果から考えると、あなたの友だちやパートナー、クラスメイトが心の中に深い傷を負っている可能性があるということです。一見、幸せそうに見える人でも、苦しんでもがきながら生きているというケースもあります。一般社会に馴染めていない、人を拒絶する、働くことができないという人を非難するのではなく、「もしかしたら、過去に受けた傷がこの人をそうさせているのかもしれない」という視点で、その人を見てほしいと思います。

ACE経験者の方には、難しいことではありますが、一人でもいいですから誰か信頼のおける人との関係を大切にしてほしいと思っています。社会学では「人は、人との関係性で幸福感を得られる、孤独感が減少する」ことを示す数限りないエビデンスがあります。たわいない会話のなかで、癒されたり、自分の気持ちが整理できたり、違う視点を知ることでモヤモヤが晴れたりすることもあるでしょう。どうか人とつながることを諦めないでほしいです。

社会学部 三谷はるよ准教授

また、この本は学校関係者や福祉現場など、対人援助職の方にもぜひ読んでいただきたい一冊です。ACEサバイバーにさらなる傷つき(=「再トラウマ」)を与えるのではなく、ありのままで本人を受け止めるという視点で、子どもたちに接していただきたいですね。

学校現場で、地域社会で、家庭環境に困難を抱える子どもたちにいかに保護的な体験を与えて、本人がもっている強みを育んでいけるかが問われています。親以外に信頼できる大人の存在が、子どもたちの発達に、極めてポジティブな影響を与えることを示すエビデンスがいくつもあります。周囲にいる子どもたちにアンテナをはって、SOSを発していないか見守ってほしいと思います。

「ACEサバイバーが不利にならない社会」の実現の近道は、若年ACEサバイバーである子どもたちへの早期介入です。子どもに関わる大人や、支援の現場にいる大人たちには、ACEを経験している人が身近にいるという前提で、多大な悪影響が及ぶ前に、適切なかかわりをもてるよう心掛けてほしいと願います。

とはいえ、学校の先生や支援の現場で働く方だけでACEの問題に対処するのは難しいと思います。トラウマケアは臨床心理学・精神医学、トラウマ教育は教育学、虐待対応等のソーシャルワークは社会福祉学、母子保健行政は社会疫学などと、それぞれの分野の人々が連携して、ACE対策・予防を進めるべきだと考えます。日本では、ACEの予防も対策も、国家をあげて取り組むというレベルではおこなわれていません。他分野連携の整備は、今後の大きな課題です。まずはACEの事実を多くの人に知っていただき、この問題をいかに解決できるかを一緒に考えてほしいと思います。