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アイリーン・美緒子・スミス氏が語る 今も終わっていない、水俣病との闘い

公害病で苦しむ人の真実を撮影し、世界中の読者に衝撃を与えた写真集『MINAMATA』。アメリカ人写真家・ユージン・スミス氏と取材を重ね、この写真集を共同制作したアイリーン・美緒子・スミス氏が、龍谷大学で「『水俣病から今学ぶべきこと』公式確認から65年 誰もが生きがいを感じられる社会へ」と題した特別講演会を行いました。現在は京都に拠点を構えながら、水俣や福島など彼女の支援を必要とする人々との活動や、講演で全国を駆け回る日々を送られています。「すべての人に健康と福祉を」「平和と公正をすべての人に」「パートナーシップで目標を達成しよう」など、SDGs目標ともリンクする活動内容や、学生へのメッセージを熱く語ってくださいました。

『MINAMATA』の映画化によって水俣病の今に再び光を当てる

2021年秋、環境ジャーナリストとして活動を続けるアイリーン氏にとって、大きな出来事がありました。それは、1975年に発表した写真集『MINAMATA』を原案とする映画『MINAMATA―ミナマター』が全国で公開されたことです。プロデューサーを担ったのはジョニー・デップ氏。作品ではジョニー・デップ氏自らがユージン・スミス氏を熱演し、どれだけ過ちを繰り返しても公害がなくならない世の中に、警鐘を鳴らしています。

熊本県最南端・水俣市の人々を苦しめた水俣病が、公式認定されたのは1956年。化学会社チッソがメチル水銀を含む廃水を水俣湾に流し、汚染された魚介を食べた人たちがメチル水銀中毒になりました。主に脳など神経系を侵し、手足のしびれやふるえ、言葉がはっきりしない、動きがぎこちなくなるなど異常を訴える人が多発。重症の場合は発病から1ヶ月以内に亡くなることもあったそうです。

アイリーン氏たちが水俣市を訪れたのは1971年秋。そこから3年間、ユージン氏と水俣で生活しながら取材と撮影を続けました。

「写真集『MINAMATA』に収められているのは、21〜24歳の時に撮影した写真。仕事として初めて撮った写真です。アメリカでユージンに出会うまでは写真を撮ったこともありませんでしたが、水俣に出合ったことが写真を本格的に撮るきっかけになりました。1975年に出版された『MINAMATA』は絶版となっていましたが、映画公開に合わせて2021年秋に再版。その巻末では公式認定からの65年で何が起こったのかを、書き下ろしています。公害が起こったのは、日本が高度成長真っ只中の時代です。プラスチックなどの原料であるアセトアルデヒドをつくる際に発生するメチル水銀が工場廃水に含まれて排水される、という水銀汚染が起こりました。60年代には新潟でも水俣病が起きたし、実は世界のいろいろな地域でも発生しましたが、未だ全容は充分には明らかになっていません。水銀汚染ひとつとっても、日本のどの場所でどんな被害を受けたのか、まとめられた記録はなく、わからないまま今日に至っています」

5年以上、ひとりも認定されない 65年経っても進まぬ被害者の救済

「現在、水俣と新潟のふたつの事件を合わせて約3万2000人が病状を訴え、「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」 に基づき、救済の認定申請をしていますが、その10分の1の人しか認定されていません。救済してほしいという無数の声があがったことで、水俣病被害者手帳が給付されましたが、これで損害賠償されるわけではない、ただの手帳です。水俣病被害者手帳を持っている人は約2万4000人、そのうち毎年1500〜2000人が救済の認定申請をしていますが、この5年以上、ひとりも認定されていないのが現実です」

1973年、患者家族がチッソを相手取り、慰謝料請求を熊本地裁に提訴していた裁判で原告は勝訴。ここでチッソの法的責任が確定したからといって、すべての被害者が救われたわけではなかったのです。

「今も水俣病に関する訴訟が水俣、新潟合わせて、10件行われています(2021年12月現在)。義務付け訴訟と呼ばれるもので、行政が正当に機能していないことを訴える裁判もその中にあります。汚染まみれの地域で育った人が、今でも苦しんで裁判をしているのです。3歳で汚染にあっていたらすでに60歳半ば、みんな高齢化してきています。水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法の中で、政府によって効果的な疫学調査を行うと明記しているのに、未だ調査は行われずに「調査方法について検討している」という返答しか受け取っていません。この進まない状況をブレイクスルーするには、公害が起こった過去の教訓を役立て、革新的なアイデアによって定説を覆す、パラダイムシフトを起こすことが必要だと考えています。これからの社会の仕組みを変えていくことは、龍谷大学が唱える仏教SDGsとも深くつながると思います」

損する人と、得する人で成り立つ経済構造を変える時

企業だけが利益を得て、地元に残るのは汚染だけ。知らず知らずのうちに体内に毒を取り込んだ人間や動物が苦しみ続ける公害病。ここから学び、公害病の元である得する人と、損する人で成り立つ経済の構造を今こそ変えなければならないとアイリーン氏は主張します。

「SDGsにはさまざまな目的がありますが、その根底に必要なのはパラダイムシフト。世界で何千年も続いている損得ベースの社会、考えを変える瞬間に来ていることを示しているように思います。その歴史が変換する入口に、学生のみなさんがいるように私には見えます。私はエネルギーの問題にも携わっていて、それだけが理由ではありませんが、日本は地震国と火山国なので原発はない方が良いと思っているのです。これまでずっとエネルギーに関して、●●でつくる→▲▲でつくる、といったことを議論してきましたが、●●でつくる→どうしても必要な分だけをつくる、という流れに変えていきたいと思っています」

講演会の終盤には学生からの質疑応答もあり「物質的な豊かさを追求する資本主義経済では、エネルギーをつくらないというパラダイムシフトはかなり困難ではないか」といった質問が投げられました。

 

「新たな原発の大事故に今まっしぐらに向かっていると思います。もし2度目が起こったら、回復はとても困難だと思います。活動していて何度も考えるのが、福島の事故はなぜ起こったのか、ということです。人災が起りうることは学問的にわかっていた。なのになぜ企業、省庁は、阻止する行動を取らなかったのか。資本主義経済を基軸とする社会のあり方に誤りがあったと感じています。この誤りを繰り返さないためには、権限を持つディシジョンメーカーを変えていくこと、広範囲に関係するステークホルダーたちともっと関わり検証する、新しいシステムに変えていくことが必要です」

 

同じことを繰り返さず、パラダイムシフトを起こすには、現地を知る人間が教訓を発信することが必要だとも語るアイリーン氏。新たな公害問題に関わる際、少しでも早く被害を食い止められるよう、これまでの教訓をまとめたリストも公表されました。

【水俣と福島に共通する10の手口】
誰も責任を取らない/縦割り組織を利用する
被害者や世論を混乱させ「賛否両論」に持ち込む
被害者同士を対立させる
データを取らない/証拠を残さない
ひたすら時間かせぎをする
被害を過少評価するような調査をする
被害者を疲弊させ、あきらめさせる
認定制度を作り、被害者数を絞り込む
海外に情報発信しない
御用学者を呼び、国際会議を開く

誰かの努力のおかげで今があるなにがあっても心の灯は消えない

70歳を超えた今も、年に何度も水俣を訪れ現地の人々との交流を続けているアイリーン氏。水俣病患者の家族が1973年に手に入れた勝訴が、当時22才だった彼女の心に残り、人生の宝物となり、今も彼女を突き動かしているそうです。

「被害者が立ち上がり、いろんな人が協力し合い、裁判という司法が機能して、勝訴につながった。諦めずいろんな人がつながると、正義が日の目を見ることを体験させてもらった。どこかの誰かが頑張ったから今があることを、水俣で学びました。私はこの体験から、どんな時も負けない心を照らす灯をもらったんです。それは絶対に消えることはありません。その灯を伝えていくことが私の仕事だと思っています」

プロフィール
アイリーン・美緒子・スミス
1971年秋から水俣病取材のため、水俣に3年間住む。1975年に写真集『MINAMATA』をユージン・スミス氏と出版し、深刻な状況を世界に訴えた。その後も、スリーマイル島原発事故調査、高速増殖炉計画に反対する「ストップ・ザ・もんじゅ」事務局設立に参加するなど、環境問題に従事。現在は、脱原発、日本の原子力政策、プルトニウム利用問題などに取り組む環境市民グループ「グリーン・アクション」の代表を務める。