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みんなの仏教SDGsウェブマガジン ReTACTION|みんなの仏教SDGsウェブマガジン

誰だってつまずきはある。
再犯防止に向けたハンドブックに込められた思い

2016年12月に「再犯の防止等の推進に関する法律(再犯防止推進法)」が制定されました。犯罪や非行をした人たちが社会復帰できるよう様々な支援を行うための初めての法律です。
この法律は、都道府県や市町村の地方自治体にも再犯を防止することを義務付け、再犯防止を推進する計画を策定することを求めています。
2020年3月、龍谷大学は京都府との協力のもと、再犯防止施策の推進を盛り込んだ「京都府犯罪のない安心・安全なまちづくり協定」をむすび、「“つまずき”からの“立ち直り”を支援するためのハンドブック」を制作しました。今回は、監修を担当した龍谷大学犯罪学研究センター長で法学部の石塚伸一教授に、ハンドブックの特徴や“立ち直り”を支援するために私たちがすべきことについて伺いました。

編集部:「“つまずき”からの“立ち直り”を支援するためのハンドブック」(以下:ハンドブック)を制作するに至った経緯を教えてください。

石塚:再犯防止推進法の施行で、都道府県や市町村に対して、法律に基づいて再犯防止のための条例づくりや実施計画の策定が義務化されました。京都府にも、第5代京都産業大学学長の藤岡一郎先生が座長となり委員会が設けられ、再犯防止を啓発するハンドブックを作りましょうということになりました。

編集部:ハンドブックの特徴について教えてください。

石塚:ハンドブックの制作にあたり「単に制度の説明をするだけではもったいない。当事者にとって役立つハンドブックにしよう」という話になりました。そこで、元・当事者の方に参加していただきました。前科3犯、のべ約20年にわたって服役した後、受刑者・元受刑者の社会復帰を支援するNPO法人マザーハウスを立ち上げた五十嵐弘志さんという方です。
刑務所を出所した人の多くが、住まいや仕事を決められず、なかなかスタート地点に立てないという問題があります。五十嵐さん自身も出所後100回以上面接してもなかなか就労できなかったという経験がありました。

刑務所内で特にトラブルが多かったり身元引受人がいなかったりする満期釈放者のうち、17%が出所後3カ月で再び犯罪に手を染めているというデータがあります。こうした満期釈放者へのサポートは、まだまだ不足しているのが現状です。五十嵐さんは、ご自身の経験を踏まえ、マザーハウスでこれまでにのべ50名以上の出所者の相談に応じていて、私も7年程サポートを行ってきました。

龍谷大学には、矯正・保護総合センターがあり、そこで展開している教育プログラム「矯正・保護課程」を通じて、学生達は保護観察官や保護司からの経験談を聞くことができます。一方で、元受刑者の方がいったいどんなことに困っているのか、彼・彼女たちにとって使い勝手の良いハンドブックにしようと考え、五十嵐さんに制作のお手伝いをしていただきました。ライターは、「弁護士ドットコム」で記者をしている吉田緑さんにお願いしました。

編集部:ハンドブックの制作では、どんなことを大切にしましたか。

石塚:罪を犯した人とお付き合いしたことがある人は、ある共通の思いを持っています。「もっと早く、罪を犯す前に、何か前兆があった時に、相談に来てくれればよかったのに」と。
私自身、これまで悲惨な状況を見てきました。人を殺めてしまい、取り返しのつかない責任を負った人をサポートしたこともあります。泥棒をして奪ったお金は戻すことができますが、失った命は取り返すことができません。このハンドブックには、ケースメソッドの紹介とともに、非行・犯罪問題の専門機関や医療機関への相談に関する問い合わせ先なども記載しています。誰に相談すれば良いかわからない場合は、ぜひ参考にしていただければ幸いです。

編集部:ハンドブックにはどのようなケースメソッドが紹介されているのでしょうか。

石塚:このハンドブックには、10代~70代までの4つのケースメソッドが紹介されています。先輩の誘いに応じてしまい還付金詐欺の「受け子」になってしまった10代の「シュン」。SNSで知り合った男性の家を転々としクスリに手を染めた10代の「リサ」。同じくクスリが原因で仕事も家庭も失ってしまった30代の「ヨージ」。そして万引きが止められない70代の「キヨ」です。実際にあった事件の取材を通して伺った話をもとに、吉田緑さんにまとめていただいたフィクションですが、この4つのストーリーからわかることは、「もう少し早く誰かが支えていれば、犯罪や非行をすることも、刑務所や少年院に行くことも、そして再び犯罪をすることもなかったのではないか」ということです。

万引きがやめられないおばあちゃんがいるなんて俄に信じられないかもしれませんが、実際、和歌山刑務所の約3割がこうした万引きなどの軽犯罪を繰り返している高齢女性で占められています。ハンドブックで紹介したケースメソッドのように、家は持ち家で年金生活をおくっていて、傍から見ると何不自由なく生活している人が、夫に先立たれ子どもたちが独立してしまった寂しさから万引きを繰り返しているのです。

でも、これは特別なことではありません。たとえば、引きこもりの子どもがいる家庭や家族のなかに困った人がいるという家庭だって珍しくありません。でもみんな内緒にしているのです。私も講演会のあと、人品骨柄が申し分ない人に「実はうちの家でも…」と相談されるケースがいっぱいあります。決して他人事ではないのです。

編集部:ケースメソッドのような「つまずいてしまった人」に対して、私たちは何をすればよいのでしょうか。

石塚:つまずいた経験がない人なんていません。「つまずきはみんなが持っている」というのが、支援をするときの出発点です。でも不幸にもつまずきが重なってしまい、大きな事件に至ってしまったケースもあります。犯罪学では、実はその前にそうした犯罪に至らないようなフックがかかっていると考えています。このフックは「ボンド(絆)」と呼ばれ、他者への愛着(attachment)、目標達成への傾倒(commitment)、世の中が認めてくれる活動への参加(involvement)、規範や道徳への信念(belief)を意味しています。人間はいつ悪いことをしてしまうか分かりません。でも「悪いことはしてはいけない」という思いだったり、「今日は野球の練習があるから悪いことするのはやめておこう」という気持ちだったり、そうしたことが、実は犯罪の歯止めになっているのです。

歯止めに必要なのが言葉です。言葉というのは保水力のようなもので、日頃から手入れを欠かさない山が土砂崩れを起こしにくいように、小さなことの積み重ねができている社会は、崩壊が起きません。そういった「社会的保水力」のようなものを強めることが再犯防止につながると思います。

では、私たちは何をすればよいのか。そんなに難しいことではありません。たとえば、刑務所から出てきた人に「何か困ったことはありますか」と声をかけたり、しゃがみこんでいる人に「大丈夫ですか」と声をかけたり…。そんな些細な声かけこそが、実は地域社会を強くしているのです。これは出所者だけの話に限らず、学校に行っていない子どもを見かけたら優しく声をかけてあげるなどお互いの顔が見える関係性が構築できれば、自然と再犯防止に繋がるのです。

編集部:龍谷大学は、国際開発目標SDGsに「仏教SDGs」という浄土真宗の「摂取不捨」の精神を取り入れた独自の切り口で取り組んでいます。今回制作したパンフレットにSDGsや仏教SDGsに通じるものがあるとすれば、それはどういったものでしょうか。

石塚:これは私の解釈ですが、親鸞さんは困った時に手助けするという道義的に良い価値を実現することを求めているのではないと思うのです。親鸞さんは逆説の人です。有名な「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」は、まさに逆説の論理から来ています。

法律でも「善意の第三者」というのは、事情を知らない第三者のことを指します。また「悪意の第三者」は、その事情を知っている第三者のことをいいます。例えば、嘘の売買取引を知っていると「悪人」だから保護されなくなります。ところがその取引を知らなければ、それは「善意」だからと保護の対象となります。倫理的にはそうなのかもしれませんが、「なんとなく怪しい」と事情を調査した「悪意の第三者」が保護されないのは、法律の矛盾だといえます。

自分は優等生で悪いことひとつしたことがない。これからも悪いことはしない。そうした人がほとんどです。でも、人を傷つけたことがあり、自分は不道徳な人間だと思っている人は、自分自身が愚か者で凡夫であることを知っている人です。刑務所から出てきた人は、誰かを傷つけ、そして自分自身も傷ついた人です。罪を償い、必死に社会復帰しようとしています。そうした彼・彼女たちを見ていると、ただ幸せになってほしいなと思います。その時に気づくんです。あぁ、自分も凡夫なのだと。この気づきというものが、恐らくSDGsの向こうにある仏教SDGsではないでしょうか。

個人的には、SDGsが掲げる「誰一人取り残さない世界」というのは、今の若い人には重すぎるのではないかと思っています。そうした高い目標を掲げるのもよいのですが、相手が困っているとき、何もしなくてもいいから側でただ立っていられるような。説教をするわけでもないし、何か手助けをするわけでもない。ただ何となく「久しぶりだから会いたいな」と言ってあげられる存在になれたら素敵ですよね。このハンドブックが当事者はもちろん、周りの人々にとっても役に立つ存在になれば嬉しい限りです。

昔話の浦島太郎は、亀がいじめられているときに「この亀が何か悪いことをしたのか」と問い詰めることはしませんでした。ただいじめられている状況を見て、身体が自然と動いたのです。そこに理由はありません。そんな浦島太郎のことを、私はえらいなと思います。それが摂取不捨のココロではないでしょうか。