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失われた食文化を再生し、持続可能な食と環境をつくる

姉川クラゲ

「姉川クラゲ」をご存知でしょうか?

海を漂う「水母(くらげ)」ではなく、陸地に生息するラン藻類の一種「イシクラゲ 」のことです。かつて滋賀県米原市・長浜市を流れる姉川流域で食用とされていた歴史があり、「姉川クラゲ」と呼ばれていました。植物界のクマムシと言われるほど、どんな過酷な状況でも繁殖。乾燥や貧栄養などの極限環境でも育ち、抗ウイルス性、抗菌性など機能性成分も多く含みます。

大正時代の文献には「頗る(すこぶる)強固にして繁殖力も亦(また)強きが如し、食用品として尊重せらるるに至るべし」とあり、天ぷら、酢の物、お味噌汁に入れたりしてよく食べられていたそうですが、食の近代化に伴い、現在はほとんど食べられなくなったそうです。

この「幻の食材」を再活用して地域活性化につなげようと立ち上がったのは、龍谷大学農学部の研究者が協働した研究チーム。
食文化が廃れた理由を知るために変化した食習慣の調査から、DNA分析による食用に適した種類の判別、現代人の食の嗜好にあう食品加工、安定供給するための人工的な栽培方法など、さまざまなアプローチで研究が進められています。

食用としての姉川クラゲに注目

姉川クラゲ(通称:イシクラゲ)は超環境ストレス耐性生物です。

極度の乾燥や貧栄養、高温、真空、紫外線や放射線下など極限の条件でも生きることができます。ちなみに、87年前の標本が、水を与えると生き返ったという文献記録もあります。これらの特性を活かして、放射能汚染土壌の除染で環境問題を解決したり、酸素生産や宇宙農業の土の代用になることを期待され実験も行われています。また、生理活性物質が豊富であることから、抗がん性や抗ウィルス性などを発揮する機能性食品への活用も期待されています。

しかし、これらの特性は表裏一体で、周辺環境から有害物質を取り込み、蓄積するという性質を持っています。重金属や農薬・除草剤などといたるところで接する現在、これらを体内へ取り込み蓄積するイシクラゲは食用にするのが難しくなっています。

農学部・資源生物科学科の玉井鉄宗講師は、この生態を研究し人工的に安全なイシクラゲを大量生産することができれば、廃れてしまった食文化を新たな地場産業としてよみがえらせることができるのではないかと考えました。これがプロジェクトのきっかけでした。

玉井講師は農学部の同僚の古本教授、朝見准教授、京都大学坂梨准教授(2021年3月まで農学部講師)に声をかけ、2018年、分野を横断した基礎研究から応用研究までの一大プロジェクトがスタートしました。

※撮影時のみマスクを外しています。

姉川クラゲの食習慣を調査

昔は家庭料理として普通に食されていましたが、周辺環境の変化によって使いにくい食材に変わってしまった姉川クラゲ。

京都大学坂梨准教授(2021年3月まで農学部講師)は、滋賀の食事文化研究会や伊吹山文化資料館の協力のもと現地の昔と今に焦点をあてて、姉川クラゲの食文化が廃れてしまった理由がなにか調査しました。

地域に住む方への実態調査の結果、かつて姉川クラゲを食べていたのはわずか3世帯。

原種を採取しようと、姉川クラゲを食べていた現地の人に案内してもらったのは、伊吹山付近の石灰岩質の土地。食べられるのは雪解け後の3月末から4月にかけて。それ以降は汚れが入って食べることができないそうでした。

伊吹山麓は土が痩せており農作物が採れにくい土地です。食料難の時代は、貴重な食料として採取した姉川クラゲは乾燥させて保存し、みそ汁などにして食べていました。しかし、限られた地域・期間でしか採取できない姉川クラゲは、いつでも気軽に入手できるワカメに取って代わられていき、食習慣が廃れていってしまったようです。

姉川クラゲのDNAを調査

姉川クラゲの食文化は姉川地域ではほとんど廃れてしまっていましたが、沖縄県宮古島では現在でも残っていました。また、大学周辺にもイシクラゲが自生しているようでした。

植物生命科学科・古本強教授は、DNA分析でそれぞれのイシクラゲを比較。その結果、大学周辺で採取したイシクラゲは、食用のイシクラゲ(姉川地域・宮古島)とは異なり、他の生物が混在していて綺麗な状態とは言えず、食用として向かないことが分かりました。

一方で、食用である姉川地域と宮古島のイシクラゲは、DNAに若干の違いはあるものの、どちらも混ざり気がないものでした。姉川クラゲの採取地や採取時期が限られていた理由は、より純粋なものを採取するためだったようです。

DNAの違いを説明する古本教授

姉川クラゲの食品化「姉川くらげそば」

姉川クラゲが廃れた理由は、前述のとおり食文化の変化によるもの。食べやすいワカメなどに取って代わられたことを考えると、姉川クラゲの特性が活かされ、現代の食の嗜好に合わせた食品化を目指すべきと考えました。

食品栄養学科・朝見裕也准教授がまず思いついたのは新潟の郷土料理である「へぎそば」。蕎麦粉のつなぎとして布海苔という海藻を練り込んでいるのが特徴です。

実は、日本の蕎麦栽培の発祥は滋賀県・伊吹山地と言われており、同じ地域で生育した蕎麦粉と姉川クラゲが合わないはずはないと確信していました。

 

しかし「へぎそば」の製法をまねて姉川クラゲをそのまま蕎麦に練り込んでも、姉川クラゲの良さを引き出すことはできませんでした。そこで、姉川クラゲを粉末にして蕎麦粉と合わせた生地を作ると、蕎麦のコシが格段によくなりました。姉川クラゲは無味無臭であるため、蕎麦の風味を邪魔しません。また、蕎麦の色が若干黒くなりますが、これはプラスに働き、見た目はさらに蕎麦らしくなりました。

ふつうの蕎麦Aと姉川くらげ蕎麦Bの比較

これを県内唯一の製麺所に持ち込み蕎麦を作りました。メディアを対象にした試食会では、「コシが非常に強く歯ごたえがあってのど越しも良い」と大好評をいただきました。

試食した姉川くらげ蕎麦(2020年3月撮影)

また姉川くらげそばと、姉川くらげ無添加のそばを、硬さ、弾力性、歯切れ、なめらかさ、色、総合評価の6項目を比較した食味試験の結果が以下。なめらかさでは無添加の蕎麦に劣りましたが、弾力性、色では姉川くらげ蕎麦の方が高評価となりました。

ふつうの蕎麦と姉川くらげ蕎麦の評価を比較

食用イシクラゲの栽培

姉川クラゲを美味しく食品化できましたが、姉川クラゲの食文化が廃れたもう一つの問題を解決できていません。限られた地域・時期にのみ採取できるイシクラゲを食文化として根付かせるのは厳しいと考えました。このプロジェクトの発案者・玉井講師は、この問題を解決するために食用イシクラゲの地域・場所によらない栽培に向けて研究を行っています。

どのような環境下での栽培が適しているか試行錯誤を重ねるうちに、イシクラゲはアルカリ性の土壌で、カルシウムが多く、窒素が少なく、日当たりが良い環境が最適であると分かりました。
つまり姉川クラゲの自生地・伊吹山麓こそイシクラゲの生育に最も適した環境だったことを示しました。

イシクラゲを栽培する様子

最適な培養条件は見つかったものの、イシクラゲを大量生産する手法がまだ見つかっておらず、この取り組みは続いています。これが確立すれば、姉川地域で栽培した姉川クラゲを美味しい蕎麦や新規な機能性食品として食用化できます。これにより、消滅しそうな食文化を復活させるだけでなく、他の地域にも出荷することで地域を活性化させる構想が動いています。

また、イシクラゲは、光合成をすると同時に、大気中の窒素を取り込んで栄養にすることができる数少ない生物であるため、栽培に化学肥料を必要としません。上述のように、あらゆるストレスにも強いため農薬も必要ありません。加えて、シカやイノシシなどの野生動物に食べられることもないため、その対策も必要ありません。水さえ与えれば育ちますので、特別な設備や装置が必要なく、手間もかかりませんので耕作放棄地でも栽培が可能です。つまり、究極に環境に優しい農業を実現できると考えています。

過去には食べられていたものの、現在では食用する文化が廃れてしまった姉川クラゲ。その文化を再生する本プロジェクトは、食の持続性という観点で今後より重要な取り組みとして、モデルケースの一つとなるでしょう。

今消費できるものだけに目を向けるのではなく、過去にも目を向けることが、食においても持続可能性を作っていくヒントとなっていくのではないでしょうか。