鍼をひと突きするだけで悪いところを治癒し、疲弊しきった部分が再びエネルギーを取り戻す。病める人にとって魔法のような鍼治療は、都市を活性化させる計画に適応できるのではないか?斬新で創造的な政策を繰り広げ、ブラジル南部の地方都市、クリチバ市を変貌させたジャイメ・レルネル氏が提唱した方法論「都市の鍼治療」。この手法に感銘を受け、関連する事例の取材とデータベースの蓄積を続ける政策学部の服部圭郎教授がまとめた指南書には、不可能を可能にする持続可能な都市デザインのヒントが溢れていました。

世界から称賛されたクチリバ市の変貌
————1970年代から3期に渡ってブラジルのクリチバ市長を務め、世界的に有名な都市にしたジャイメ・レルネル氏。彼に興味を持ち始めたのはいつですか?
服部:大学を卒業した後、都市計画や国土計画を行うコンサルタント企業に就職し、留学支援制度を活用してカリフォルニア大学バークレイ校環境デザイン学部で修士号を取得する機会を得ました。渡米する前は、その頃に注目を集めていたサンフランシスコやポートランドの都市計画について勉強したいという思いがあり、レルネルさんの存在を知っていたわけではありませんでした。ところが、いざバークレイ校の授業を受けると、都市デザインの先生も、交通計画の先生も、土地利用の先生も、みな口を揃えて「ブラジルのクリチバ市ではレルネル市長が…」と話を始めるのです。そのことに大きな衝撃を受けました。振り返ってみれば、1992年にリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議において、クリチバ市でローカル・アジェンダの会議が開催されて、多くの先生がクリチバを訪れた直後だったのだと思います。
————ジャイメ・レルネル氏は、どのような都市計画を行ったのですか?
服部:最も有名なのは、バスシステムの成功です。レルネルさんは1971年に33歳という若さでクリチバ市長に就任されました。当時すでにクリチバ市の人口は70万人を越えていて、いずれ100万人に達することは確実だと予測されていました。世界の常識として、100万人規模の都市には地下鉄の整備を行うことが当たり前でしたが、建設や管理には莫大な費用が必要です。財政が苦しかったクリチバ市は、資金不足のため泣く泣く地下鉄を諦めます。そこで、増え続ける交通需要に対応するためにレルネルさんは、バスを極力、地下鉄に近づけようとしました。地下鉄とバスの大きな違いは定時性です。そこで、地下鉄の定時性をバスで実現することを目指し、道路の一部をバス専用レーンとしてバス以外は走行できないようにしました。さらに、バスの停車時間を短縮するため、運賃を乗車時ではなく、チューブ型の停留所に設けた改札で支払ってから乗車するシステムを導入。これにより停車時間は格段に短くなり、地下鉄に劣らないスムーズなバスの運行が実現しました。

————支払ってから乗車する、すばらしいアイデアですね。
服部:このアイデアが生まれたのは、レルネルさんが日本を訪れ、阪急電車に乗っていた時だったそうです。三宮駅で多くの人が乗り降りしているにも関わらず、驚くほど停車時間が短い理由は、乗車時に運賃を徴収していないことだと気づき、その仕組みを取り入れたそうです。レルネルさんのプロジェクトチームには、クリチバ市の環境局長を務めた中村ひとしさんや、クリチバ市初の日系市長となったカシオ・タニグチさんがいたことも関係していると思いますが、ブラジルの都市に日本の知恵が活かされているなんて、本当に誇らしいです。バスという一時代前の公共交通機関を巧みに活用して都市に新たな魅力を与えたクリチバ市のバスシステムは、現在コロンビアのボゴタ、インドネシアのジャカルタ、韓国のソウルなど、多くの都市で模倣されています。お金がなくても、ちょっとした知恵で“都市の病”を効果的に治すことができる、「都市の鍼治療」を代表する事例です。

前向きに変化を遂げた360事例を収集
————ジェイメ・レルネル氏が書いた『都市の鍼治療』の翻訳に携わった後、都市データの収集に尽力されてきましたが、なぜデータベースが必要だったのでしょうか。
服部:約20年前、『都市の鍼治療』の翻訳をしながら率直に感じたのが「訳しただけではわかりづらいかもしれない」ということでした。例えば、ライティングなど光を活用した鍼治療的都市デザインを紹介するページでは、レルネルさんは実際に現地を見て知っているため「ロッテルダムの〓〓が素晴らしい」「アムステルダムの〓〓が素晴らしい」と一文だけ書かれているのです。しかし、当時は今のようにGoogleの検索機能が発達していなかったので、このままでは読者に不親切なのではないかと思いました。そこで、著書『都市の鍼治療』とは別に、事例を紹介するデータベースがあった方がよいと考え、2012年からレルネルさんに相談しながらデータベースの作成作業を始めました。
————「都市の鍼治療」データベースの事例は、どのように選んだのですか。
服部:公益財団法人ハイライフ研究所のウェブサイトに掲載している「都市の鍼治療」データベースの原稿は、2ヶ月に5件のペースで書き上げ、現在は360の事例(2025年12月時点)が閲覧できます。その中には、実際にレルネルさんが著書の中で紹介されている都市のプロジェクト、レルネルさんが今もご存命ならきっと紹介したいだろうと思うプロジェクト、もうひとつは自分の好奇心が刺激されて行かずにはいられなかったプロジェクトという、3つの観点から取材した都市のプロジェクトを掲載しています。ドイツ・ナウムブルクのトラム(路面電車)はまさに、「これは面白そう!」と好奇心にまかせて取材に出かけた事例です。人口3万3000人の都市・ナウムブルクで一度廃線になったトラムを復活させ、運営を続けたのは鉄道ファンの市民たちです。路線や停留所、車輌などは市役所が所有・管理し、交通サービスは市民による運営会社が担当。運転免許を取得した鉄道ファンたちによって、日々の運行が遂行されています。取材の時、鉄道運営会社の経理担当の高齢の女性が、取材している私に振り向いて「私も免許を持っていて、実際に運転していますよ」という話を聞いて驚きました。こうしたリアルな声に触れると、やはり現地で取材をしてよかったなと思います。
諦めず考え続けた先に未来が開ける
————「モビリティの改善」=“都市の血流の円滑化”、「サステナビリティの維持」=“都市の長寿力の維持”、「人口減少・高齢化への対応」=“都市のアンチエイジング”というように、8つの都市の課題を症状に見立て、それぞれに有効なツボを紹介していく指南書。すでにあるデータベースとはどのよう連携しているのでしょうか?
服部:データーベースというのは絶対に、多い方がいいんです。たくさん集めれば集めるほど、そこから見えてくる事実や誰かの気づきにつながる発見がありますからね。データベースづくりは、病気に効いた世界中の薬草を集める作業に似ているな、と思うところがあります。ですが、さすがに多すぎると、すべてに目を通してひとつずつ把握するのが大変になってくる。360事例という膨大なデータベースを分類し、この薬草は肩こりに、この薬草は冷え性に、この薬草は整腸に…と情報を整理して目的の事例にアクセスできやすくするのが、この指南書の役割だと考えています。読み進めて関心のある事例に関しては、指南書の事例一覧にQRコードを掲載しているので、そこからホームページにアクセスしてデータベースにある詳しい説明を参照していただければと思います。

————『都市の鍼治療 指南書』が、読者にどんな気づきを与えることを期待されますか?
服部:市長時代のレルネルさんは、部下から「予算不足でプロジェクトが遂行できない」と言われた時、逆に予算を一桁減らして「不足しているのは予算ではなく知恵だ」と答えたそうです。私も大学生たちから「お金がないからできない」という言葉を耳にすることがあります。ですが、お金がないから諦めるのはとても残念で、悔しいことだと思います。本当に万策尽きているのか、単に考えが至っていないだけではないのか。もしかしたら知恵を使えば状況を好転させられるのではないか。足りないのはお金ではなく知恵であり、問題解決の可能性を諦めずに探る、そんな思考を持ってもらえたら嬉しいですね。
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