2024年10月12日(土)、龍谷大学深草キャンパス 和顔館にて、2025年度に開設される「大学連携型ソーシャル・イノベーション人材養成プログラム」のキックオフセミナー「今、求められる社会課題を解決するソーシャル・イノベーション人材」が開催されました。本プログラムは、文部科学省 「人文・社会科学系ネットワーク型大学院構築事業」の採択を受け、リスキリングのニーズを有する社会人をターゲットにし、社会課題の解決に寄与する職業人の育成を目的としています。
本セミナーの開催にあたって、初めに龍谷大学 入澤崇 学長から挨拶が、次に龍谷大学大学院 中森孝文 政策学研究科長から本プログラムでの育成を目指す人物像、3大学が連携する意義などについて説明されました。
その後、株式会社とくし丸 取締役 住友 達也 氏による講演、「社会に求められるソーシャル・イノベーション人材」をテーマにしたパネルディスカッションがおこなわれました。
<前編>では、株式会社とくし丸 取締役 住友 達也 氏による講演「社会課題解決に向けた新たな価値創造」の模様をレポートします。
23歳で出版社を立ち上げ、46歳で引退。
54歳で移動スーパーを立ち上げた
株式会社とくし丸は2012年に創業。徳島県徳島市に本社があり、過疎地で暮らす高齢者「買い物難民」に食品や日用品を届ける移動スーパー「とくし丸」を運営している会社です。「とくし丸」は全国の地元スーパーと提携しており、販売パートナーが軽トラックでスーパーの商品を運ぶサービスです。
現在は140社のスーパーマーケットと提携し、およそ1,200台のトラックが約17万人の「買い物難民」に商品を届けています。
僕は23歳で出版社を始めました。最初の3年間はメシが食えなかったので、飲み屋でギターの弾き語りをするアルバイトをしていました。雑誌や広告業界の勢いがあった時代でしたので次第に売上が伸び、経常利益が毎年10%以上あり、自社ビルとキャッシュをもつ無借金の会社に成長しました。しかし、僕が会社を立ち上げたのは雑誌を作りたかったから。しだいに経営や組織運営に疲れてしまい、46歳のときにM&Aで会社を手放しました。
その後はほぼ遊んで暮らしていたのですが、8年も経つとその暮らしに飽きてしまいました。そのころ、買い物難民が社会問題として取り上げられるようになっていました。当時、数台のトラックで食品を配達するスーパーマーケットはいくつかありましたが、全国展開できる仕組みはまだ存在していませんでした。日本における買い物難民は、2016年経産省の調査によると、約700万人。高齢化と過疎化が進めばニーズはさらに増える、配送ドライバーは全員個人事業主にすれば、社員が10名程度の小さな組織でもビジネスモデルとして成立するだろうという発想で、54歳で移動スーパー「とくし丸」を始めました。
事業の3本柱は
「命を守る」「食を守る」「職を作る」
僕は「とくし丸」の事業を始めるにあたり、3つの柱を作りました。1つめは、買い物難民の支援・見守り役で「命を守る」。2つめは、地域スーパーとしての役割を果たし「食を守る」、3つめは、社会貢献型の仕事を創出することで「職を作る」です。
また、ビジネスは数十年にわたり、適正な利益を上げながら継続できる仕組みを作ることが重要です。お客さんに「喜んでお支払いしたい」と思っていただける、お布施のような形で利益を生み出す仕組みを作りたいとも考えました。
最初の1年間は自分でトラックに乗り、地域のスーパーの販売代行者としてスタートしました。高齢者の中には思うように買い物ができず、大変な生活をされている方がたくさんいらっしゃることがわかりました。あるおばあちゃんは「豆腐が好きだけど、1ヶ月に1回しか食べられないの。食べられるのは、少ない年金を使ってタクシーで病院に行った帰りに、スーパーに寄ってお豆腐を買ってきた時だけ」と話してくださいました。別のおばあちゃんのお宅を訪ねると「足が悪いから買い物に行けない。近所の方が1日1食持ってきてくれるお弁当を3回に分けて食べている」とおっしゃいました。僕は、買い物難民の方々に新鮮で美味しいものをお届けしたいと、あらためて強く思いました。
食品や日用品を軽トラで運ぶ販売パートナーは、お客さんのご自宅に訪問し、対面で販売します。そのため、高齢のお客さんの見守りをするという役割もあります。おばあちゃんの自宅を訪れても出てこないので確認すると家の中で倒れており、救急車を呼んだということがしばしばあります。じつは「見守り機器を一緒に販売しましょう」というビジネスのお誘いがあちこちから来るのですが、僕はすべてお断りしています。大切なお客さんの見守りをするのは人として当たり前のこと。それをお金儲けにすることに違和感があるからです。
届けたいのは食品だけなく
喜びや生きがい
最初の3年は本当に大変で、社員に給料を払っていたものの、僕の給料はゼロでした。さらに、「とくし丸」を全国展開させるには自分の能力だけでは難しいこともわかりました。僕は事業を立ち上げるのは得意ですが、規模が大きくなると会社の管理が大変になるということもわかっていました。そこで、4、5年目にM&Aで生鮮宅配サービス「Oisix」を展開するオイシックス・ラ・大地株式会社に会社を売却しました。そのタイミングで僕は社長を辞めたかったけれど引き止められ、数年間は社長業を続けていました。
そんなとき、「住友さんは、雑誌を作りたいんですよね」という呼びかけがあり、1年前に「ぐ〜す〜月刊とくし丸」を創刊しました。70〜90代をターゲットにした雑誌はたぶん日本で初めてです。2ヶ月に1回の発行で、1冊280円という低価格。販売場所は「とくし丸」の車両と、提携スーパーの店頭のみです。
今月号の投稿欄には、90代の読者から「早く命を終わらせたいと思っていましたが、『ぐ〜す〜』に出会い、まだしばらくは頑張って生きようと思えるようになりました」というお便りを掲載しました。この雑誌が、誰かに喜んでもらっている、誰かの生きがいになっている。まさに僕はこういう方たちのために雑誌を作っている。編集者ってなんて幸せな仕事なんだろうと思います。
雑誌部門はまだ赤字ですが、必ずや爆発的にヒットし、本業の移動スーパーに匹敵するくらいの事業規模になると確信しています。ただ、僕はお金を儲けるためにやっているのではありません。僕が高齢者のお客さんに届けたいのは、食品だけでなく、楽しみや生きがいです。「ぐ〜す〜」は、読者である高齢者のお子さんやお孫さんにも読んでいただきたい。高齢者がどんな気持ちで日々を過ごしているかがわかると思います。
京セラの稲盛和夫さんは、「仕事の結果は、能力×やる気×考え方だ」とおっしゃっていました。どんなに知識や能力があっても、考え方がマイナスなら結果はマイナスになります。プラス同士の掛け合わせをすることで、社会にとって本当に良いことをビジネスにできると思います。
また、事業は、社会の枠組みの中でおこなっていくものです。ですからみなさんには、政治や社会などさまざまな課題にも興味を持ってほしいと願っています。