社会的孤立が生まれるメカニズム、背景・理由の共通点を探り、「だれ一人取り残さない」社会に向けて研究を続けてきた龍谷大学社会的孤立回復支援研究センター。2024年3月、その中の子育て家庭ユニットが2年間の共同研究の集大成として『「孤育て」のトリセツ〜がんばるワタシの応援パンフ〜』を発行しました。今回は子育て家庭ユニットの代表を務めた、短期大学部こども教育学科の中根真教授にお話を伺いました。
「モンスターペアレント」や「毒親」という言葉に要注意
編集部:『「孤育て」のトリセツ〜がんばるワタシの応援パンフ〜』を発行した経緯をお教えください。
中根:龍谷大学社会的孤立回復支援研究センターは、2020年からのコロナ禍に伴う環境の変化の中で、新たな社会問題になっている社会的孤立を研究対象として活動してきました。子育て家庭ユニットのメンバー5名で、2年という短い期間で何ができるのか検討した結果、新任保育者の方々が気軽に手に取りやすく、困った時に何かヒントを得てもらえるパンフレットの制作準備に取りかかりました。
編集部:どのような読者を想定し、読者に何を伝えるため制作されたのですか。
中根:子育てや教育にまつわる報道では、「モンスターペアレント」や「毒親」という言葉をよく耳にします。たいへんインパクトがある言葉ゆえに、不安や恐怖心を煽る見方や理解、レッテル貼りにつながるおそれがあります。子どもを傷つける親を糾弾したり批判したりする意見は、ネット上にも溢れています。でも、痛ましい事件を起こした親は、私たちとはまったく異なる特別な存在ではないはずです。社会的に孤立し、追い詰められ、何かのきっかけが重なれば、誰しもそういう子育てをしてしまう可能性があるのではないでしょうか。
パンフレットでは、孤立した家庭の子育て=「孤育て」に陥りやすい背景や理由について、孤立した親子とどう接すればいいのかなど、主に保育者のヒントになる情報を掲載しています。読者としては保育者をめざす学生、新任保育者をイメージして制作を進めましたが、親や祖父母など周囲の方々にも、ぜひ目を通していただければと思います。
編集部:制作においては、どんなことに留意されましたか。
中根:孤立する子育て家庭を知る上で、ヒントになる論文や著書はたくさんあるけれど、日常業務に精一杯の保育者の方々は、専門的な文献を読み込む時間のゆとりもないのが現実です。なるべくビジュアルでパッと理解できるデザインに落とし込み、休日のちょっとしたすきま時間にページをめくってもらえる内容にしたいと考えました。
なお、このパンフレット制作のプロセスを通して痛感したことは、学術的な研究の成果を社会に還元することの難しさ、実際に活用してもらうにはさまざまな工夫が必要不可欠なことです。学会報告する、学術論文を執筆して公表するといった研究者向けの情報発信を超えて、保育者の皆さんが日常業務を気軽に見つめなおすきっかけや工夫もまた研究が必要だということです。
編集部:注目してもらいたいページ、内容があれば教えてください。
中根:P10には「約束を守らない」「『大丈夫です』と言って、ネガティブな感情をださない」「電話に出ない なかなか連絡が取れない」など支援が難しいと思う保護者の行動を、ランダムに並べています。保育者の日常業務における言動、会話の中で気になることがリストアップされていると、保育者の気づきにつながるかもしれません。「確かにこういうことがあるなぁ」と、自分の身近で起こっている出来事を少し突きはなして客観的に捉えられる、そんな余裕が芽生えるといいですね。
もちろん、このパンフレットですべて事足りることはありませんが、待ったなしの対応に追われる職場を離れた時にふと考えるヒントとなり、見つめなおす機会を生む一冊になれば幸いです。
編集部:終盤に「セルフケアのススメ」という項目があり、ここにも保育者を目指す学生さんへの愛が感じられました。
中根:子育て家庭ユニットには社会福祉学、教育学、心理学、栄養学の研究者が参加し、それぞれの視点や専門知識を交わし、共有できたことはとても有意義でした。困難な事例に対し、どういう視点があるのか、いろんな角度から考えることができました。保育者もスーパーウーマン、スーパーマンじゃないので、心身ともに疲労します。保育者である前にひとりの人としての生活があるわけで、セルフケアを後回しにしないことです。心と体が健康でないと、子どもや保護者とも適切に向き合えないですからね。数年前から「不適切な保育」に注目が集まりましたが、保育者養成教育のなかでもセルフケアの重要性や具体的な方法を教えるなど予防教育も必要です。例えば、P24〜26に掲載した3つのレシピは「腹が減っては戦ができぬ」、美味しいものを食べてボチボチ頑張ろうというメッセージを込めました。
少子化社会は子ども・子育て家庭に鈍感、無理解の広がる不寛容な社会!?
編集部:子育て家庭の社会的孤立、その要因は何だとお考えですか。
中根:17年前に長男が生まれ、2008年度に1年間育児休暇をとりました。まだ男性の育休取得者が1パーセント台の時代でしたので、上司や同僚の一部から「男性は産むわけじゃないのに何をするの?」という言葉が出るようなご時世でした。当時は好奇の目で見られることも多かったですが、子育てが自分の生活の中に根付いたことは、とても大きな出来事でした。
昨今、少子化が問題視され、出生数の問題に関心が集中していますが、私自身は子どもと触れ合う体験や機会がどんどん先細り、社会が子どもに鈍感になっていくことも問題だと考えています。つまり、子どもは泣くし、騒ぐし、じっとしていられずに走り回るものです。自分が子どもだった頃、そんなにお行儀がよかったですか(笑)。そのことをすっかり忘れて、子どもへのおおらかさ、寛容さが次第に失われつつあると感じます。さらに、家族や地域社会の在り方が激しく変化するなか、子育ては保護者の自己責任という風潮もあって、孤立している子育て家庭に事件報道されるまで気づけない、不寛容な人びとが増えている社会のイメージです。こども家庭庁が掲げる「こどもまんなか社会」という言葉とは裏腹に…。
編集部:不寛容な人で形成される社会が、子育て家庭の孤立を促してしまっていると。
中根:孤立してしまう人には、それぞれ個別の事情や背景があります。重大な虐待事件を引き起こした加害親の背景には、子ども時代にいじめ被害にあっていたり、ハンディキャップを理解してもらえず何度も先生に叱られたり、理不尽な家庭環境で育ったり、周囲の反対を押し切っての結婚で親・兄弟を頼れなかったり…。誰かに気軽に「助けて」と言えずに生きてきた人が多いことが見えてきました。もちろん全てではありませんが、トラウマ体験を経て親になり、窮地に立たされた時にも「助けて」と言えず、市役所などに相談できない場合もあります。近年、全国でこども食堂が普及していますが、注視すべきは「本当に来てほしい人たちが来ているかどうか」です。
「助けて」と言えない、援助希求力が乏しい人びとはまだ来られていないのではないかを常に問い、その存在を想像しながら、サポートが届きにくい状況を改善していかなければなりません。
保育者を困らせる行動は、困っているサイン
編集部:サポートの提案を拒絶された時、どう受け止めればいいのでしょう。
中根:保育者を避けたり、保育所などに批判的だったり。援助が難しい保護者の言動は、裏を返せば生きづらさを抱えておられるサインとみることができます。「本当は困っている、気づいてほしい」という訴えの裏返しという見方です。言動が非常識かつ不合理で支援が難しい親には対応しない、対応できないと関係を断ち切るのは簡単ですが、それでは何も解決しませんね。「なぜそんな行動を取るのか」とその背景を見つめ、辛抱強く関われる保育者と安心して働ける環境、そして社会のありようが問われています。
編集部:拒絶されても諦めないためには、精神的なタフさが必要ですね。
中根:人間関係が複雑で、情報過多な現代社会において、大人も子どもも孤立しやすい状況にあると思います。世間的に見て周囲に迷惑をかける“困った人”は、実はどこにも助けを求められず“困っている人”なのかもしれません。“困った人”の背景にその行動を起こさせている事情があります。簡単なことではありませんが、保育者など専門職は、面倒だと決めつけずに、背景や事情を含めて理解していくねばり強い関わり、精神的・時間的なゆとり、それを許容する職場の環境が必要不可欠です。私たち人間は合理的な時もありますが、合理的ではない時もあります。割り切れなさ、「助けて」と素直に言えない複雑な気持ちもあります。それが人間の難しさであり、奥深さでもあります。
龍谷大学が行動哲学に据えている「自省利他」とは、自身に自己中心性や利己心が宿っていることを自覚し、払拭に努め、思いやりをもち、他者の幸福を願うことを意味しています。“困った人”の言動に揺さぶられながらも、保育者である自分には何ができ、どのように関わっていくのか、あのような関わりでよかったのかなどを省察し、自問自答する心の習慣を備えることが不可欠となります。