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苦悩する人々に寄り添い、心をケアする「臨床宗教師」の育成プログラム

龍谷大学大学院実践真宗学研究科では、「臨床宗教師・臨床傾聴士研修」養成教育プログラムを実施しています。臨床宗教師は、病院や被災地、社会福祉施設などの公共空間で、布教活動や宗教勧誘をせずに、人々の苦悩に寄り添い、生きる力を育む宗教者です。「臨床宗教師・臨床傾聴士研修」養成教育プログラムの研修スタッフである、龍谷大学文学部 森田 敬史 教授、農学部 打本 弘祐 准教授に臨床宗教師の歴史と研修プログラムの内容を、プログラムを修了した実践真宗学研究科3年生 城 大真さんに研修での感想をお聞きしました。

「宗教者による心のケアが、高齢者施設やターミナルケア施設で求められています」

文学部 教授 森田 敬史 先生

「私の専門分野は、実践宗教学と臨床死生学です。2007年より、新潟県長岡市にある長岡西病院のビハーラ病棟で、常勤ビハーラ僧として勤務していました。ビハーラはサンスクリット語で休養の場所や寺院という意味で、私は利用者さん(患者さんやそのご家族)やスタッフさんの話を聴いたり勤行などを執り行ったりしていました。開設当初は、病院にお坊さんがいると縁起が悪いという声もありましたが、病院内の『患者さん、特にターミナル期の患者さんには、心を軽くしてくれるお坊さんの存在が必要』という院長たちの声で踏みとどまり、少しずつ施設での活動が理解されるようになりました。

臨床宗教師という言葉が概念化されたのは、2011年の東日本大震災以降です。震災で、家族や知人が突然亡くなった遺族は、とりあえず生活基盤を整えるためにガレキを撤去したり、届いた物資でその日をしのいだりして日々を過ごしましたが、日常を取り戻すにつれ、心の整理がついていないことに気づきます。ちゃんとお弔いができなかった、伝えられなかったことがある、誰かに話を聴いてほしい。宗教者は、そんな方々のお話をお聴きすることで、遺族たちの心を和らげました。電話相談や追悼行脚も行いましたが、当時、宗教者が公共空間で提供する『心のケア』の方法論は確立していませんでした。欧米ではキリスト教の牧師さんが病院で患者さんのケアをするチャプレンという職業があります。日本でもチャプレンのような宗教者を育てようという動きがあり、東北大学を中心として臨床宗教師の養成が始まりました。現在は東北大学、龍谷大学など9つの大学機関などが臨床宗教師の育成に取り組んでいます。

龍谷大学大学院実践真宗学研究科で行っている「臨床宗教師・臨床傾聴士研修」養成教育プログラムは、宗派の垣根を越えて研修生を受け入れていることが特徴です。私自身は本願寺派の僧侶ではないのですが、臨床宗教師の育成に取り組んでいます。プログラムの目的は、相手の価値観や人生観、信仰を尊重しながら、苦悩や悲しみを抱える人々に寄り添い、生きる力をはぐくむ人材育成です。プログラムは講義、実習、グループワークの3本柱です。ターミナルケア(緩和ケア)の病棟を実習訪問することで、最期を迎える前の患者さんにとって仏教がどのような存在であるかを肌身で感じられるでしょう。この研修プログラムは、現在、お寺を預かっておられる若い僧侶や、社会で活動しておられる僧侶にとって、宗教者としてのアイデンティティを振り返り、教義を再確認できる機会でもあります。臨床宗教師研修の経験は、お寺やさまざまな施設できっと役に立つはずです。多くの僧侶のご参加をお待ちしています」。

「傾聴力を養うプログラムで、苦悩する人々を救う宗教者を育成します」

農学部 准教授 打本 弘祐 先生

「人々は生きている限り、さまざまな場面で悩み、苦しみます。高齢者施設では入居年数が10年、20年と長きにわたることもありますが、施設で生活されている高齢者の方々はなかなかお寺への参拝やご家族のお墓参りに行くことができず、『宗教的ことがらの喪失』という状態になってしまいます。また、施設の介護スタッフにも、もっと入居者さんにこうしてあげたかったなどの苦悩があります。僧侶は仏教行事などで法話を通してみ教えを伝えますが、臨床宗教師が大切にしているのは『傾聴』です。私たち宗教者は、人々の“澱(オリ)”を引き取らせていただくのが使命です。人は誰かに悩みを話すと“澱(オリ)”がなくなって心が軽くなり、生きやすくなります。

人々の苦悩をしっかりお聴きするには、まず自分自身を知っておくことが重要です。他者の苦しみを他人ごとではなく自分の経験に置き換えたり、自身の価値観を知ったりするということです。そのため、研修プログラムでは自分の内面に向き合う作業も行っています。グループワークではメンバー4〜6人に教員1名が入るグループを作ります。これまでの人生で悲しかったこと、宗教者としての自覚はいつから持ち始めたかなどの生育歴をお互いが話し、聴きあいます。これは、他大学の臨床宗教師研修ではあまり行われていないグループワークです。また、実習先でお聴きした会話を思い出して会話記録を作成し、それを元にグループ内で相手役と臨床宗教師役に分かれて再現するロールプレイも行います。なかなか話せない人のお話を待てるかどうか、自分の受け答えのパターンはどうだったかを考える機会となります。臨床宗教師は、心理カウンセラーとは役割が異なります。宗教をベースに人々と向き合い、臨床宗教師自身そのものが相手のケアとなる存在を目指します。

2021年、大阪府茨木市・高齢者総合福祉施設「常清の里」研修

欧米では、キリスト教の牧師さんを中心に宗教者が利用者さんやスタッフのお話を聴くチャプレンとなり、病院、高齢者施設、刑務所、警察署、大学、軍隊などで勤務しています。食肉を扱うグローバル企業では数百人ものチャプレンが、と畜に関わる社員さんの心のケアをしています。私たちは、命をいただくことで生かされています。私が農学部に宗教者として所属している理由は、農・食と宗教がじつは密接な関係があるからなのです。しかし日本の社会の中で、宗教界はやや離れた世界と位置付けられているのは否めません。私たちの目標は、臨床宗教師の数を増やし、苦悩する人々を1人でも多く支えることです。お互いが切磋琢磨できる臨床宗教師の集団を大きくし、世に貢献していきたいと考えます」。

「門徒さんや地域の方々の心に寄り添える存在になりたい」

実践真宗学研究科3年生 城 大真さん

「私は山口県防府市出身、実家は浄土真宗本願寺派の寺院です。文学部真宗学科に在籍していたときに宗教学の授業で東日本大震災のビデオ映像を見る機会がありました。ビデオでは、被災地を訪れた僧侶が遺体安置所で涙を流しながら読経したり、仮設住宅を一軒一軒回って傾聴活動する姿が流れました。被災者たちの苦悩を受け止める僧侶たちの存在、そして人々の心を支える宗教の力の大きさに衝撃を受けました。将来、自分が僧侶になったときに、彼らのように人々の心に寄り添える存在になれるのだろうか、実家の寺院の檀家さんたちの苦悩を受け止めることができるだろうかと深く考えるようになりました。

2022年、東日本大震災で被災した、宮城県仙台市 専能寺での研修

人々の悩みや苦しみに向き合える僧侶になるため大学院に進学し、「臨床宗教師・臨床傾聴士研修」養成教育プログラムを受講しました。コロナ禍だったため、実習予定先の高齢者施設で利用者さんと面会できないなどもどかしいこともありました。動きづらいこともありましたが、2年目の実習で京都府城陽市のあそかビハーラ病院で座学講座を受けたり、グループワークで自己分析をしたり、講義のあとに研修生仲間とどんな宗教者になりたいかをディスカッションしたりと、自身の心を磨く経験が多くできたことに感謝しています。

研修で気づいたことのひとつが、『相手から与えられる役割がある』ということです。相手の悩みや苦しみをありのままに受け止めさせていただく、その姿勢は相手がいてこそ与えられるものです。将来的に実家の寺院で僧侶としてお勤めする予定です。また臨床宗教師として門徒さんや地域の方々と向き合い、研修で学んだことを活かしていきたいと考えています」。