Interview 深尾 昌峰 学長補佐
「誰一人取り残さない」という世界共通目標SDGsと、浄土真宗の「摂取不捨(すべての者をおさめとって見捨てない)」精神を結びつける、龍谷大学ならではの「仏教SDGs」という発想。教育機関として、持続可能な社会を担う若い人材の育成も「仏教SDGs」の取り組みの重点テーマとして挙げられています。
「社会を変えていくのは、変人である」というユニークな持論を唱え、学生ベンチャー育成事業に携わってきた深尾学長補佐に、これからの起業家についてお話を伺いました。
編集部:龍谷大学は、関西の私立大学で大学発ベンチャー輩出数において高い実績。起業家が育つ気質があるのでしょうか。
深尾:学生ベンチャー育成事業の中核を担ってきたのは、龍谷エクステンションセンター(通称REC)です。1991年に瀬田キャンパスで開設した当初から、コミュニティ・アイデンティティーを重要視しており、大学の施設・設備を地域に提供する施設開放事業などを行ってきました。レンタルラボやインキュベート施設の入居率もかなり高く、地域の中小企業さんとの共同研究の場としても発展。RECの特性を見ても、龍谷大学は地域とのお付き合いを非常に大事にしてきたし、地域の持続性に貢献していくというSDGs的な考えが、30年前からすでにあったんですよね。
大学発ベンチャーの担い手となる学生の発掘・育成を担う事業がスタートしたのは2001年のこと。在学中の学びから問題を発掘し、その問題構造を分析、作成したビジネスプランをブラッシュアップしながら、起業へとつなげてきました。
昨今は、ソーシャルベンチャーの起業が相次いでいます。無農薬にこだわる農家の経営支援とベビーフードの製造販売を展開する「株式会社 はたけのみかた」、障害者の新たな就労の場を創出する「株式会社 革靴をはいた猫」など独創的なコンセプトを持つ企業が立ち上がっています。
他者の幸せを願い、社会がより良くなっていけばいいという考えは、先輩学生たちからずっと受け継がれてきたもの。SDGsという言葉が社会の脚光をあびて、社会が変わってきて、メインストリームになってきた流れがありますが、龍谷大学はこれまでも研究と教育、そして社会貢献を統合していく発想を持ち続けてきました。その発想の継続が、大きな実績につながってきていると感じています。
編集部:学生の間に起業する。働き方に対する考えも多様化しているのでしょうか。
深尾:若い世代と接していると、かなり価値観が変わってきているなと感じます。少し前までは、農業に従事する人自身が大変な仕事であると同時に高度経済成長期モデルと重なり、子どもに継いで欲しいと言わず、子ども自身もまた都会に出て働きたいと願うケースが多かった。でも今の若い世代は、農業にすごく興味を持っています。僕の教え子の中にも、商社勤めを辞めて農業に就労した方がいます。そうすると、彼の同世代の20〜30代の同僚はみんなうらやましがり、管理職の50〜60代は「仕事を甘く見るな」と説教的に異論を唱えたそうです。これだけうつ病や自殺者が多い社会、みんな無理をして都会生活を続けていることは明白。ならば、しがらみから遠い場所を求めるのも当然のことです。若い人たちの価値観、柔軟性、創造性と、龍谷大学の多様性がうまく呼応しているのではないかと、個人的に思っています。
編集部:ソーシャルベンチャーの起業家は、どのように育まれるのでしょう。
深尾:現場での「問題」との出会いがすべての原点です。例えば、鹿肉の販売で地域との連携を深める「株式会社RE-SOCIAL」は獣害被害に隠された問題が発端でした。フィールドワークで、農作物に被害を与える野生動物がどんどん殺され、埋められている様子を目の当たりにしたんですね。現場を見て、匂いを嗅いで、とてもショックを受けた。害獣なんだからしょうがないと終わらせず、このままでいいのかと疑問を持ち続けて、命を大切にいただくジビエ肉の販売に発展させた。この最初に疑問を持つところがすごく重要なんです。
さきほど紹介した「株式会社 革靴をはいた猫」という靴磨きビジネスが動き出したきっかけも、1ヶ月間働いて1万6000円しかもらえないという、障害者の人たちの現状に学生が疑問を持ったことでした。福祉業界の人たちは当たり前の金額だと言うけれど、それっておかしいんじゃないかと。現状に対して疑問を持てる力、そこでの大きなインパクトが起業のエネルギーになっていくのです。
事業としてどう組み立てるか、支援者や金融機関とどう話し合いをするか、という知識やノウハウは講座で教えられますが、課題はそれぞれの学生が出会うしかない。学生たちがいろんな場所で得たいろんな経験が課題につながります。課題が定まれば、いろんな専門家たちが一緒に議論したり、時にはビジネスプランを突き返したり。学生たちは大学という資源を利用して、能動的に起業家をめざします。
編集部:プログラムに参加すれば、誰でも起業家になれるのでしょうか。
深尾:現実的には、起業に向いている学生と、そうでない学生がいると思います。人前でプレゼンテーションするのがどうしても苦手だ、という学生は向いていないかもしれない。大学側も何がなんでも起業してほしいと思っているのではなくて、本質的な問題を見つけ出す力、批判的に物事を見られる力を身につけてもらうことをめざしています。龍谷大学で育まれたアントレプレナーシップは、企業や団体で働くことになっても、新しい市場や新しいサービスを創出する場面できっと役立ちますから。
編集部:起業家プログラムに興味を抱いて、入学してくる学生も増えているそうですね。
深尾:龍谷大学を卒業して活躍する起業家が、良いお手本になってきています。自分の可能性も広がりそうだと感じて、龍谷大学を選んだという学生も増えてきています。そういう意味でも、起業家プログラムは非常に大事な現場だと思います。
僕は市民性を考える講義のなかで、「悪とは何か」を取り上げた流れで、ヤッターマンとドロンジョ一味の話を例としてするんです。みんな、ドロンジョ一味のようになれってね。地球を防衛するのは一見いいことのようだけれど、現実社会に置き換えると自殺者が3万人以上いる社会を守るという発想がいいのかどうか。ドロンジョ一味は新しい戦い方やメカを次々と考えて、失敗しても諦めずまた次の週にやってくる。実は世の中をよりよくしようと考えていて、より良い社会へと導くのは、ドロンジョ一味かもしれない。世の中の決まった善悪、当たり前だと言われていることを疑ってみる。当たり前をいかに排していけるかが重要、だから変人になれと、変人を恐れるなと伝えています。
変人というのは、変わった人ではなくて、変える人です。変える人というのは、変人扱いされるんですよ。驚異を抱かれるというのは、ある意味、イノベーターとして成功の証。常識的な空気を読んだり、忖度していたりでは、新しい世界はつくれない。負け続けたとしても立ち上がり、ちょっとずつ現状を変えていける。学生たちには、より公正で公平な社会をつくる変人でいて欲しいと思います。
編集部:龍谷大学が掲げる行動哲学「自省利他」が、起業家精神とも深く関わっていそうですね。
深尾:昨今の学生からあがってくるビジネスプランは、ソーシャルなものが増えている。学生全員が必修で受ける仏教の思想も、学生の考えに根付いていると思います。日常的に仏教を意識しているわけではないけれど、利他的な精神を入口として経営を組み立てていける。社会起業家プログラムを通して、どう考え、どう生きていくかを探求できる。仏教の教えが、知らず知らずのうちに自分の人生と重なっている、そんな環境だと思います。
ソーシャルベンチャーを志す人は、困った人がいる社会を少しでも変えたいという想いがあり、みんなで利益をシェアして、みんなで社会をデザインしていきます。起業に向かって進む学生たちには、いろんな人たちと協力して、その思いを束ねていける能力がある。その能力にすごく期待をしていますし、そういう学生たちを誇りに思っています。