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刑務所にいるのは「困っている人たち」の可能性も。刑務所の中のソーシャルワークが社会の安定に繋がる理由

刑事政策・犯罪学の分野で、犯罪者処遇を研究テーマとする法学部の相澤育郎准教授。刑務所で暮らす受刑者の生活環境や抱える問題についてお話を伺いました。

編集部:相澤先生の研究テーマである「刑務所の中のソーシャルワーク」について教えてください。

相澤:刑務所にいる受刑者が円滑に社会復帰するためにはどのような支援が有効なのか、さまざまな角度から研究しています。

16~17世紀のヨーロッパから、「自由刑」と呼ばれる刑罰が行われていました。この制度は、犯罪者や浮浪者、非労働者を施設に収容し、強制的に労働させることで、更生を促そうとしたものです。当時は「受刑者の権利」に対する意識が乏しく、閉じ込めて労働させることが刑罰の基本とされていました。時代の経過とともに、単に労働を課すのではなく、受刑者自身の変化を促す処遇をした方がよいという考え方や、むしろ自由刑の内容を明確にし、受刑者の人権を尊重すべきだという考え方も生まれるようになりました。

 

————刑務所で受刑者はどのような生活をしているのですか?

 

相澤:ある面では非常に規則正しい集団生活を送っています。例えば、朝6時40分に起床し、点呼を終えた後に食事をとり、8時頃に工場へ向かいます。夕方16時から17時頃まで「作業」と呼ばれる労働を行い、その間に昼食や運動の時間が設けられています。終了後は入浴と夕食の時間です。風呂は、冬季は週2回、夏季は週3回入ることができます。おおよそ18時から21時までは余暇という形で本を読んだり、テレビを見たりして過ごします。なかには、資格試験の勉強に励む受刑者もいます。そして、21時に就寝。これが典型的な平日の生活だと思います。

 

一般の暮らしに似ている部分もありますが、厳格な規則があります。作業中の私語は禁止され、よそ見してはいけません。お手洗いに行く際は、手を挙げて「願います」と大きな声で申告し、刑務官の「よし」という許可が出てから向かいます。このように、細かい規則に基づいた生活が営まれています。

 

日本の伝統的な懲役刑は、受刑者を刑務所に収容し、強制的に労働を課すことで更生を促すという前提があります。そうすることで、やがて受刑者は社会復帰を果たせると考えられてきました。

 

————厳しく管理されているとはいえ、想像よりも快適な気がするのですが……。

 

相澤:そうした感想を抱く人は多くいます。実際に学生とともに刑務所を訪問すると、「思ったよりもきれいだ」「この環境なら問題ないのでは」と驚く声がよく聞かれます。そのため、「刑務所に入りたくて、罪を犯す人がいるのではないか」と考える人もいます。このように感じるのは、決して不思議なことではありません。

 

刑務所に収容され、自由が制限される「自由刑」に対して、何を求めるかによって捉え方は変わると思います。多くの人が、悪いことをしたのだから、きちんと懲らしめてほしいという感情を持っており、だからこそより厳しい処遇を求めるのだと思います。しかし、先に述べたように、受刑者の日常生活は事細かなルールによって縛られているほか、さまざまな自由や権利に対する制約があります。

 

例えば、刑務所には基本的に冷暖房設備はありません。そのため居室で受刑者が熱中症になったり、2023年には凍死で亡くなるという事案が発生しています。こうした状況を受け、エアコンの整備が進められていますが、設置場所は廊下に限られています。受刑者は、ドアの下の小さな窓から流れ込むわずかな風を頼りに過ごしており、決して快適な環境ではありません。

また、労働に相当する作業には賃金は支払われず、「作業報奨金」が与えられます。この報奨金は、時給換算で7円から50円の間の10段階に分かれており、すべての受刑者は7円からスタートします。このほか、面会や手紙のやり取りなどにも回数が定められています。

 

このように、刑務所での生活は自由が制約され、不便が伴います。人は、自分の意思で自由に移動できない状況に強いストレスを感じるものです。それが数年、あるいは数十年続けば、多くの人が苦痛を覚えるのも無理はありません。近年では、自由刑は「移動の自由」を奪うだけで刑罰としては十分であり、それ以上の制約を課すべきではないという考え方も広まってきています。

————先生がこのテーマを研究するようになったきっかけを教えてください。

 

相澤:龍谷大学は刑事政策や犯罪学の研究が盛んです。私も学生時代に浜井浩一先生や、石塚伸一先生の授業を受けたことをきっかけに興味を持ち、大学院へ進学しました。

 

当時、凶悪犯罪が増えているとされ、「水と安全はもう無料ではない」といわれていました。しかし、分析してみると、必ずしもそうした犯罪が増加していたわけではありませんでした。犯罪件数が増えた時期であっても、受刑者の多くは「凶悪な人」ではなく、むしろ「困っている人」が多いことを学びました。自分が当たり前だと思っていたことが、実はそうではなかった。その気づきこそが、関心の出発点だったと思います。

 

————「困っている人」ですか?

 

相澤:そうです。このことについては、私の研究の経過を交えながら説明した方がいいかもしれません。

 

もともと私は、刑務所の医療、特に刑務所における医療倫理や医師の位置付けを研究していました。刑務所内の医師は、難しい立場に置かれやすいといわれています。なぜなら、受刑者を患者として診察する医師であると同時に、刑務所の管理・保安を重視する施設からの要求にも対応しなければならないためです。医師は患者の利益を守るという患者への忠誠と、管理や保安といった刑務所への忠誠の狭間に置かれ、「二重の忠誠」という問題に直面することになります。

 

具体的には、刑務所の医務室で医師が診察を行う際、隣に刑務官が立ち、診察の内容に聞き耳を立てたり、受刑者の言い分に口を出してくることがあるといわれています。また、かつて刑務所の医師に対して行われたアンケートでは、約半数の医師が他部門の職員から治療方針などをめぐり意見を言われた経験があると回答しています。このように、施設の都合と医師の職責が衝突するケースがあるのです。

 

そして2000年代後半から、刑務所には社会福祉士や精神保健福祉士といったソーシャルワーカーが配置されるようになりました。研究を進めるなかで、ソーシャルワーカーも医師と同じような立場に置かれている可能性があると分かりました。

 

————医師が必要なのは理解できますが、刑務所にソーシャルワーカーが必要なのはなぜですか?

 

相澤:2000年代前半から、高齢で身体に障がいのある方や認知症の方、あるいは知的障がいのある方が、刑務所に繰り返し収容されていることが明らかになりました。そのきっかけとなったのは、元衆議院議員・山本譲司さんの著書『監窓記』(ポプラ社、2003年)です。山本さんは秘書給与の流用問題で有罪判決を受け、刑務所に収監された経験をもとに執筆されました。刑務所の中にはいわゆる凶悪犯罪者というよりも、知的障がいや認知症を患っているため、自分がなぜ収監されているのか理解していないような人がいる。また、身体の自由がきかず、社会で生きづらさを抱えるために軽微な犯罪を繰り返し、刑務所に繰り返し入っている人がいる。そんな人が多くいることが、その本をきっかけに注目されるようになりました。浜井先生も法務省での勤務経験を活かし、『刑務所の風景-社会を見つめる刑務所モノグラフ』(日本評論社、2006年)を出版されました。この著書でも、刑務所にはいわゆる社会的弱者と呼ばれる人が多く収容されていることが描かれています。

 

2006年に起こった下関駅放火事件は、刑務所からの社会復帰に伴う課題を浮き彫りにした重要な出来事でした。この事件の当事者は、刑務所で人生の半分以上を過ごしてきた70代の男性です。福岡県の刑務所から出所後、身を寄せる場所がなく、警察に捕まろうと考えて万引きをしました。警察からは役所に相談に行くようにいわれたものの、役所でも住所がないからダメだと受け入れられず、行き場を失ってしまいます。刑務所に戻ることを考えた男性は、駅で段ボールに放火し、その結果、駅は全焼してしまいました。男性は知的障がいを抱えていましたが、福祉の支援に繋がることはなく、同じような犯罪を繰り返して刑務所に戻るという負の連鎖に陥っていました。

 

この事件をきっかけに、福祉的な援助を受けられず、再び犯罪に手を染めてしまう人の存在が注目され、司法と福祉の連携が進められるようになりました。

 

————刑務所におけるソーシャルワークには、どのような問題点があるのでしょうか?

 

相澤:刑務所の福祉職の方にお会いすると、みなさん熱心に仕事に取り組まれていることがよくわかります。しかし、そうであるからこそ、施設からの理解不足や職務の不明確さなどに起因する葛藤を抱えている様子もうかがわれます。医師と同様に、「二重の忠誠」に近い問題が起きている可能性があることがわかりました。

 

刑務所での人間関係は、基本的に刑務官と受刑者の上下関係で成り立っており、受刑者には画一的な対応をすべきだと考えられています。しかし、ソーシャルワーカーは、対等な関係のもとで個別に支援を行うため、受刑者との関わり方は大きく異なります。そうした背景もあり、ソーシャルワーカーが施設から「異質なもの」と捉えられやすいのだと思います。

 

また、日本ではこれまで、刑務所に障がいのある方や高齢者が収容されている問題に対し、十分な意識が向けられてきませんでした。「受刑者に福祉は必要ない」と考える刑務官もいるため、ソーシャルワークの必要性が理解されていない状況もあります。

 

さらに、福祉側にも問題がないわけではありません。社会福祉士等は、医師とは異なり職能団体の組織率が低く、組織としてのバックアップが十分ではないように感じます。また専門職の倫理という点からも、「ソーシャルワーク専門職のグローバル定義」が共有されていますが、それを刑務所という困難な場面で具体的にどのように実践するのかについては十分な議論がされてきませんでした。

ですから、私の研究では、刑務所におけるソーシャルワーカーの役割を明確にし、施設内での共通した振る舞い方やルールを策定し、提示することを目指しています。

 

————刑務所でのソーシャルワークが目指すべき姿とは?

 

相澤:理想的なのは、刑務所内に限定された特別なソーシャルワークではなく、刑務所内で普通のソーシャルワークを行える制度や法律、システムを構築することだと思います。そのことが、これまで必要であるにもかかわらず、福祉的な援助や支援を受けられなかった人たちの人権を保障することにつながります。また刑務官も、近年は社会福祉士等の活動によって、考え方が変化しつつあるといわれています。さらに、2025年6月からは拘禁刑が施行され、受刑者の社会復帰に向けて、実務の方も頑張られています。

 

刑務所の中で適切なソーシャルワークが行われることで、その人は再び罪を犯すことなく生活ができるようになるかもしれません。先ほど挙げた下関駅事件の男性は、刑を終えて出所後、福祉やNPOの支援を受けながら安定した生活を送られています。安定した生活が確保されれば、新たな被害者が生まれることなく、社会全体にとって大きな利益となり、安全で安心な社会の実現につながると思います。さらに、これまで困難な状況に置かれてきた人々に人生を立て直す機会を提供することは、より公正な社会の実現にも寄与するでしょう。

 

もちろん、犯罪学の世界でも、犯罪の原因について何が唯一正しいのかは、明らかではありません。「これが犯罪の原因だ」「こうすれば犯罪はなくなる」とは断言できないのです。なので、安定した生活を送れば誰も罪を犯さなくなるとは限りません。しかし、犯罪を繰り返す人の中には「困っている人」や「権利を守られてこなかった人」が一定数存在するのも事実です。こうした人たちの権利を守ることは、わたしたちの社会の重要な役割のひとつだと思います。