コロナ禍の食支援プロジェクト
2020年春、新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、大学の様子は一変しました。
学生たちの活気にあふれた姿がキャンパスから消え、期待に胸を膨らませ、ひとり暮らしを始めた新入生の生活は困窮していました。
新型コロナウィルスの感染拡大を抑えるために発令された緊急事態宣言。施設や店舗が休業、外出が自粛されたことによって学生はアルバイトができなくなり、保護者の収入も減少するなど、普段の生活がままならない状況に陥りました。
「アルバイトができず食材を買うお金がない」「88円の食パン一斤で何日も過ごしている」
一人暮らしの学生たちがSNSで発信する悲痛な叫びに、龍谷大学は学生の「いのち」に危機が迫っていると、学生支援特別推進室を設置しました。目的は一つ、学生の「いのち」を繋ぐことでした。
学生の「いのち」を繋ぐ食支援プロジェクトがスタート
現状を把握するため、龍谷大学は4月下旬、新型コロナウィルスによる影響を調査する緊急アンケートを全学生に実施しました。その結果、回答者のうち一人暮らしの学生や留学生の半数以上が食に不安を抱えていることがわかりました。
非常に切迫した事態にあると把握した龍谷大学は、学生が食べるものを調達するために奔走しましたが、コロナ禍の影響で食材の買いだめが全国的に生じて保存の利くパスタやレトルト食品はどこも品切れ状態、そのうえ仕入れ先が休業中など、調達に大苦戦。
学生食支援の基本は栄養バランスと健康を踏まえること。この観点から、保存食を加えつつも、基本は生鮮食料品を提供することを心がけ、冷凍の肉類や魚、野菜、惣菜などを中心とした食材を、無料で提供しました(調達費は大学の負担)。
「農学部」を有する総合大学としてのメリットを最大化し、農学部付属農場で収穫できる野菜を可能な限り供給するとともに、学外との関係ネットワークをフル活用することで、連携協定を結ぶ滋賀県東近江市から提供いただいた1トンの米をはじめ、5月初旬には食料提供を開始することができました。
また、配布の際には、学生の健康を考え、食材に合わせたオリジナルのレシピが添えました。
ピーク時には最大で一週間あたり1200名以上の利用があり、後日実施したアンケートによると、空腹に耐えきれず帰り道で野菜を丸かじりした学生もいたそうです。
学生の「自立」を促す食支援プロジェクトに移行
緊急事態宣言が解除され、社会全体を覆う切迫感の緩和とともに進む周辺環境の変化に伴い、学生への食支援プロジェクトの目的が「いのち」を繋ぐことから、「自立」支援の段階へと移行し、食料の有償提供(1000円)を開始しました。
同時に、龍谷大学は臨時の学内雇用体制を整え、食支援の対象学生を食料の配布スタッフとして直接雇用し、日払いで給料を支給することで、日常生活の回復と自立支援を目的とした経済的な支援を実施しました。この制度を利用して学生アルバイトスタッフとなった一人暮らしの学生・留学生の総数は200名を超えました。
学生を食材配布スタッフとして直接雇用することにより、食材配布の場が、大学から学生への一方向の経済支援から、学生と学生、学生と教職員とのコミュニケーションの場へと変容し、コロナ禍という未曽有の事態にあっても、学生、教員、大学職員の三者協働して乗り換えようとする「チーム龍谷大学」としての連帯感が自然に醸成されました。
食支援プロジェクトが企業・団体へ拡大
この食支援のニュースは龍谷大学のホームページやSNSにて発信、そして拡散されました。メディアにもこの食支援プロジェクトが取り上げられ、滋賀県、京都生協、航空会社Peach Aviation 株式会社ほか約20以上の企業・団体から野菜や冷凍食品、飲料、菓子、日用品が寄贈されるなど支援の輪が広がっていきました。
その中には、龍谷大学卒業生をつうじた企業の支援もあり、株式会社イートアンドホールディングスから、6月上旬、深草キャンパスにて大阪王将羽根つき餃子や焼売など、それぞれ500食分超の冷凍食品を無償供給いただき、その配布スタッフとして、同社の社員の方に参画いたただきました。
学生の経済的支援を目的として雇われた学生スタッフはここでも活躍。裏方の作業として、寄贈された大量の食品を配布用に一人ひとりの分量に仕分けする作業や、適切な食料の保管管理、円滑な食料配布に貢献しました。
学生を「総合的に」支援する食支援プロジェクトに移行
これらの取組によって食支援の利用者が一週間あたり約400名程度に減少し、切迫感を脱し、緩和した状況へと移行します。
次に、龍谷大学は自立支援を継続させながら、龍谷大学生活協同組合からの申し出により生協食堂を利用した食支援を新たに実施。昼食は生協食堂の利用か食料の配布かを選択できるシステムにより、栄養バランスの観点から食支援を実施しました。
学生への緊急食支援、自立をめざした経済的支援、周囲による総合支援への段階から最終段階として社会に開かれた大学として、地元地域と連携し、地域飲食店の活性化にも取り組みました。