登録延期、そして登録決定
国立公園指定に先立って2017年2月、環境省はユネスコに奄美大島、徳之島を含む4地域の世界遺産一覧記載推薦書を提出しました。同年10月にはユネスコの諮問機関IUCN(国際自然保護連合)が視察します。IUCNは18年5月、「登録延期」を勧告しました。勧告は、「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」の4段階あります。登録延期は下から2番目の厳しい評価でした。
勧告では、日本が世界遺産に相当する価値として推薦書で示した「生態系」「生物多様性」の二つの評価基準について、生物が独自の進化を遂げたことや、固有種や絶滅危惧種の多さには評価を示したものの、生態系の基準はそれぞれの地域で推薦地が分断されていることなどから「持続可能性に重大な懸念がある」として「合致しない」と指摘しました。生物多様性に関しては、沖縄島北部にある旧米軍北部訓練場を推薦地に含めるなど、保護の強化を条件に基準をクリアする可能性を示しました。政府はいったん推薦を取り下げ、20年の登録を目指すことにしました。
その後、政府は評価基準を再検討します。「生態系」を除外し、「生物多様性」に絞りました。IUCNの指摘に沿って沖縄島北部の米軍北部訓練場跡地も編入し、IUCNの再調査を経て19年2月に再推薦します。ところが、今度はコロナが自然遺産登録を阻みます。20年のユネスコ世界委員会は延期になりました。
IUCNは21年5月、奄美・沖縄を世界自然遺産に登録にするよう勧告します。「国際的にも生物多様性の保全上重要な地域」と価値を認めました。同年7月26日、オンラインで世界自然委員会が開かれ、自然遺産登録が決まりました。03年の候補地選定から18年、推薦書提出から5年の歳月を要しました。しかし、ユネスコは無条件に自然遺産登録を認めた訳ではありません。国に対して厳格な観光管理や森林伐採制限などの対応を求める付帯決議が付けました。
自然遺産、維持するための課題
自然遺産を維持するためにはいくつもの課題があります。奄美の場合は ①密猟・盗掘 ②外来種 ③ネコ問題 ④ツアー客の集中―の四つが問題になっています。密猟はIUCNが「自然の脅威」と指摘した課題の一つです。奄美大島では自然遺産候補地として注目される以前は年に数件だった密猟、不審者情報が20件を超えています。19年4月には固有種のアマミイシカワガエルを持ち出そうとした東京のペットショップ店長が逮捕される事件がありました。
奄美の昆虫、特にクワガタ類はネットショップでも人気で、国立公園内で違法トラップが見つかることも少なくありません。請島には島の固有種ウケジママルバネクワガタがいます。絶滅危惧ⅠB類にランクされ、採集は禁じられています。島で自然保護関係者からこんな話を聞きました。「密猟防止のため、夜間のパトロールを実施しているが、林道に不審なバイクが止まっていたり、誰もいないはずの森の中で人の気配を感じたりすることがある」。密猟者はウケジママルバネクワガタが木の根っこに作った巣ごと持っていくため、次世代が繁殖できなくなってしまいます。徳之島では規制外の区域で大量のトラップが見つかり、伊仙町は届け出制にしました。
植物の盗掘も深刻です。奄美には希少種に指定されている植物が数多くあります。奄美大島では、20年5月には県の希少野生動植物保護条例で採取が禁じられているカクチョウラン約10株が盗掘されているのが見つかりました。マメ科最大の植物で絶滅の危機にあるモダマの盗掘も報告されました。環境省や地元自治体は密猟・盗掘防止のための啓発活動、夜間パトロールに力を入れています。ヤフオク!は22年9月、野生動植物の出品を禁止しました。
止まらないロードキル
アマミノクロウサギは奄美大島と徳之島だけに生息する特別天然記念物です。奄美の自然の豊かさのシンボルです。環境省のレッドリストで絶滅危惧ⅠB類に指定されています。夜行性でもあり、近年、道路に出てきて車にひかれてしまう、ロードキル(交通事故死)が増えています。二つの島を合わせた事故死の確認数をみると、20年は70件、21年は78件と過去最多を更新しました。22年は9月末現在、89件に達し、過去最多だった前年をすでに上回っています。ユネスコの世界遺産委員会は絶滅危惧種のロードキル対策を課題に挙げました。
事故が増えた背景にはアマイノクロウサギの個体数が増えてきたことだと考えられています。増えた要因は「森林伐採が減少して森が回復したこと」「クロウサギを捕食するマングースや、後述するノネコ(野生化したネコ)の駆除、捕獲が進んだこと」にあります。ロードキルはコロナ下にあっても増加したわけですから、観光客が急増するであろうコロナ後が懸念されます。
環境省は「ドライバーに注意を促すだけでは事故を減らせないのが現状。それ以上の対策が必要」と警鐘を鳴らします。地元自治体は啓発と併せてクロウサギが道路に出てこないように侵入防止柵の設置も検討しています。
ネコ問題と外来種対策
マングースに代わって近年、ネコ問題がクローズアップされるようになりました。野生化したネコは「ノネコ」と呼び、野良猫と区別しています。ノネコは森にすみ、アマミノクロウサギやトゲネズミといった希少種を襲います。ネコは狩猟本能から、食べなくても襲います。ガイドの話ではノネコは狂暴化しており、山中で出会うと恐怖を感じることがあると言います。徳之島では14年、奄美大島では18年からノネコの捕獲→保護→譲渡を始めました。19年9月には徳之島で犬に襲われたとみられるクロウサギの死体が見つかりました。ネコだけでなく、犬の適正飼養も課題となっています。
IUCNは植物の外来種対策も求めています。アメリカハマグルマというキク科の多年草があります。70年代から南西諸島に緑化植物として導入されましたが、繁殖力が強く在来種に影響を与えるため、国は「緊急対策外来種」に指定しています。
最も恐れられているのが、ツルヒヨドリです。「1 分で1マイル広がる」といわれるほど繁殖力が強く、「特定外来生物」に指定されています。外来種対策は環境省や地元自治体に加えて住民参加で取り組んでいますが、駆除は難しく、対策が遅れています。
ツアー客の集中、分散へ
奄美への観光客は14年、LCCの就航とともに急増します。前述した国立公園指定も観光振興に追い風となりました。19年、奄美群島への入り込みは過去最高の89万人を超えました。奄美の人口の9倍近い人が訪れたことになります。
20年はコロナの影響で51万人台、21年は55万人まで落ち込みましたが、検査体制が整い、行動制限がなくなった22年はコロナ前水準まで回復しつつあります。クルーズ船の寄港も再開しています。特定の観光地にキャパシティー以上の人々が詰めかけると、保護と経済活動のバランスが崩れる「オーバーツーリズム」が懸念されます。野生動物にもストレスがかかり、前述したロードキルの増加も懸念されます。
奄美大島では自然体験の場として希少種の多い金作原(きんさくばる)国有林(奄美市名瀬)に人気が集中しました。そのため、認定ガイドの同行制度や車両の乗り入れ制限も導入されました。その結果、観光案内所には旅行会社や観光客から「(金作原の)予約が取れない」との苦情、問い合わせが相次ぐようになりました。あふれた観光客に対応するため、現在、奄美市住用町の「役勝エコロード」の活用が進んでいます。
奄美は「1万年のふるさと」
奄美は人と自然の距離が近いのが特徴です。奄美の自然はもろく、保護と利用のバランスをどう保っていくかが課題です。奄美の自然遺産登録に尽力した小野寺浩氏(屋久島環境文化財団理事長)は登録1年目、「1万年のふるさと、奄美」と題し、南海日日新聞に寄稿しました。
〈これからの地域づくりを考える際に押さえておくべき四つの柱がある。それは ①自然と文化の資源保護 ②保護と経済の両立 ③保護と観光・経済の持続性 ④観光が地場産業を活性化していく波及効果である。「持続性」は保護と地域振興の両者とも一過性であってはならず、わたって続いていくことを目指さなければならない〉
〈30年前、屋久島の議論をしているときに、ある委員が「京都が私たちの千年のふるさとならば、屋久島は「数千年のふるさとではないか」と発言した。奄美にしばしば来て悠々とした時間の流れを体感すると、「私たちの1万年のふるさとは奄美ではではないか」と思えてくる〉
「自然遺産になる」ことが目的であってはいけません。私たちシマンチュ(島民)は「自然遺産にふさわしい島づくり」を世界中の人々と協力して進めていきたいと考えています。
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文/久岡 学・元南海日日新聞社編集局長
1985年、南海日日新聞社入社。2018年4月~21年3月、編集局長。現在は嘱託で文化面の編集業務に当たる。主な著書(共著)は「田舎の町村を消せ」(南方新社)、「奄美戦後史」(同)、「奄美学」(同)、「『沖縄問題』とは何か」(藤原出版)など。「宇検村誌」にも執筆。
▽参考文献 環境庁HP、文化庁HP、南海日日新聞、宇検村誌「国立公園指定と世界自然遺産登録」、令和3年度奄美群島の概況(鹿児島県大島支庁)。写真提供=南海日日新聞社