2024年元日に発生した能登半島地震は石川県を中心に甚大な被害をもたらしました。被害を受けたのは人間ばかりではありません。一緒に暮らすペットも被害を受けました。倒壊した家屋に取り残されたり、避難所へ連れていけなかったりした犬や猫、地震に驚いて逃げ出して行方不明になった猫もいます。そんなペットたちの救出にいち早く乗り出した団体があります。千葉県を拠点に全国で活動する災害時ペットレスキュー「チームうーにゃん」です。代表のうささん(本名・田中麻紀さん)はじめスタッフはがれきの街を歩いて取り残されたペットを次々と救出しました。チーム「うーにゃん」の活動を紹介します。
地震発生、能登へ
地震翌日の2日午後6時、うささんは被災地へ向かいました。同時にSNS(交流サイト)で情報提供を呼び掛けました。うささんは、輪島市を目指しました。「全壊・半壊した家屋に閉じ込められたペットがいます。助けてほしい」。次々とSOSが飛び込んできます。うさんさんは家族に呼び掛けます。「諦めない気持ちが命をつなぎます」
途中、道路の断裂や通行止め、渋滞等で時間はかかりましたが、3日、輪島市に入ることができました。
「ムーム」は宝物
輪島市町野町には生き埋めになっているトイプードルの「ムーム」がいました。飼い主は一人暮らしの女性(87)。夫を亡くした女性を励まそうと神戸の親戚がプレゼントしてくれました。9年間、片時も離れたことはありませんでした。一人暮らしを支えてくれる存在です。地震で家屋はあっと言う間に倒壊し、女性は救助されましたが、ムームは取り残されたのです。
現場に向かう道路は土砂崩れのため、車両が通行できません。チームは車を降りて徒歩で向かうことにしました。辺りは暗くなり、冷たい雨も降っています。避難所に一泊しました。4日、現場に到着して驚きました。家屋は全壊。崩れた柱や壁、ガラスで全く中が見えない状況です。
「ムーム」。うささんは呼んでみました。すると、かすかに鳴き声が聞こえました。すぐ近くにいることがわかりました。チームは懸命にがれきをどけようとしますが、人力ではどうにもなりません。そこに陸自のヘリコプターが飛んでくるのが見えました。うささんはヘリが降りた避難所に走っていき、自衛隊員に事情を説明。「ムームの救出を手伝ってください」とお願いしました。自衛隊員2人が手伝い、バールやノコギリを使ってがれきをどんどん除去してくれました。
うささんはやっとできた隙間に入り込み、ムームを呼びますが、怖がっているため、なかなか近づいてきません。ドッグフードで誘い出し、やっとのことで外に引きずり出すことができました。ムームはこの間、飲まず食わずで助けを待っていたのです。「ムームも生きることを諦めず、私も自衛隊の方も助けることを諦めませんでした。諦めない気持ちが一番だと思いました」(うささん)
ムームは8日、兵庫県伊丹市に避難していた女性と再会しました。ムームはしっぽを振って女性に甘えました。女性はムームを抱きしめて「この子は私の宝物」と満面の笑みでした。ムームの救出劇はテレビや新聞各紙でも取り上げられました。
続々と家族の元へ
被災地にはペットの名前を呼びながら、がれきの中を探し回る人々がいました。自宅近くにペットフードの皿を置いて回る人も。そうした人たちに「うーにゃん」は手を差し伸べます。ニュースで活動を知った人々も応援に駆けつけてくれるようになりました。
地震から1カ月が経過した2月2日、うーにゃんとお手伝いの人々6人は珠洲市に向かいました。猫のミンちゃんをはじめ、4匹の捜索をするためです。ミンちゃんの自宅までの道は土砂崩れで車では行けません。徒歩で向かいました。
家族は地震翌日にミンちゃんの鳴き声を聞きましたが、以降はぱったりと聞こえなくなりました。捜索チームが2日、家の周辺に捕獲器を10台設置したところ、1台に入っていました。その捕獲器には普段、ミンちゃんが使っていたお皿が入っていました。捕獲器は猫を捕まえる道具です。「ミンちゃんには捕獲器の中に、家族と一緒に暮らしていた時が見えたのかなと思いました」(うささん)
その後もたくさんの猫の捜索依頼がありました。チームは捜索と共に、迷子になって放浪していた犬も保護しました。3月末現在、75件の捜索依頼があり、うち47件が見つかり、飼い主の元へ帰りしました。
置き去りにされるペットたち
ペットの行方を案じる人ばかりではありません。うささんたちが救助活動を始めたばかりの頃、半壊した家屋の玄関に猫がいました。とても具合が悪そうだったので心配になり、「保護しようか」と考えていたところ、家屋から年配の夫婦が出てきました。
夫婦はうささんを見ると、こう言いました。
「もうこの家には住むことができないから、持てるだけの荷物を持って出て行く。猫は連れていけないからここに置いていく。しょうがない」
うささんは驚いて聞き返しました。「私がこの子を連れていっていいですか」
「欲しいならどうぞ。この猫は14歳でがんがある。具合も悪いし、もうそんなに長くないよ。それでもいいの?」
災害は人の心を変えてしまいます。長年、家族同然に過ごした猫を躊躇なく置いていこうとするのです。うささんの胸に悲しみが込み上げてきました。猫は飼い主の言葉を聞いていましたし、自分を残して去っていく姿も見ていました。
うささんは猫に語りかけました。「一緒に千葉に連れていくね」。しかし、数時間後、猫は静かに死んでしまいました。
被災地には孤立集落もあり、そこには多くのペットが取り残されています。4月に入ってチームが集落を訪れると、人の気配を感じて、あちこちから猫が出てきました。捕獲器に入り、一心不乱にご飯を食べていました。孤立集落では地震で置き去りされた犬や猫たちが悲惨な状況になっています。チームはそうした集落にも足を踏み入れ救出活動に取り組んでいます。
きっかけは東日本大震災 「災害で消えた小さな命展」
うささんの活動の原点は2011年3月に発生した東日本大震災にあります。うささんは災害ボランティアとして現地に入り、そこでペットを失った多くの被災者に出会いました。ペットは家族の一員です。「人間の家族を失った人がいる中で、動物の家族を失った悲しみやつらさを言葉にすることができない」。そんな声を聞きました。「避難所では動物を受け入れてもらえず、家に残してきてしまった。自分だけが生き残ってしまった」「(ペットの)写真も津波ですべて流されてしまった」。自分を責める人、悔やんでも悔やみきれない人が多くいました。
うささん自身、家族同然のペットがいました。突然、大切な存在を失うつらさを目の当たりにして、胸が張り裂けそうになったといいます。うささんは多彩な活動をする創作家。絵本作家でもあります。「もう二度と会えない」。そんな言葉を聞いて死んだ動物たちの絵を描いてプレゼントすることを思いつきました。全国で展覧会を開催することで、動物たちが犠牲になった理由を多くの人に知ってもらえる。「救える命を増やしたい」と考えたのです。
被災地から戻り、協力してくれる作家や画家を募りました。作品は飼い主の手紙をもとに描きました。2011年12月、「災害で消えた小さな命展」が始まりました。全国190カ所以上を巡り、大きな反響を呼びました。展覧会は2017年、奄美大島でも開催されました。
チームうーにゃん発足、同室避難所を提唱
東日本大震災から5年後の2016年、熊本地震が発生します。うささんはこのとき、ペットレスキューチーム「うーにゃん」を立ち上げました。犬や猫だけではなく、ウサギやカメも含めた動物たちの捜索や救助活動に取り組みました。2024年4月現在、メンバーは11人。①現場班②技術班③搬送・運搬班④デザイン班⑤広報班の5班を組織して、災害時の救助・保護活動だけではなく、飼い主が飼育を放棄したペットの新しい家族探しなど幅広い活動に取り組んでいます。熊本地震の際、奄美の人が新しい飼い主になってくれたことで、奄美との縁ができました。前述した「災害で消えた小さな命展」も実現しました。
東日本大震災、熊本地震の活動を通してうささんはペットの「同室避難」の重要性を痛感するようになります。多くの避難所はペットを受け入れてくれませんでした。その場合、在宅避難や車中泊・テント泊といった方法が考えられます。在宅避難の場合はペットを自宅に置いて飼い主が通って世話をすることになりますが、家屋の倒壊など危険がつきまといます。車中泊・テント泊は飼い主もペットも肉体的、精神的に大きな負担が伴います。
環境省は東日本大震災の教訓を踏まえて「災害時におけるペットの救護対策ガイドライン」を作成し、「同行避難」「同伴避難」を推奨しています。避難所に動物専用のスペースを設け、飼い主が世話をします。しかし、飼い主と一緒に生活できないため、ストレスから大きな鳴き声を出したり、動物同士の争いが起きたりすることもあります。
うささんが訴えるのは「同室避難」です。「ペットを助けることは飼い主の命を助けることにもつながる」からです。動物連れの人専用のスペースを設け、家族ごとに仕切りをして一緒に過ごします。こうすることで飼い主もペットもストレスなく過ごすことができます。愛知県犬山市は2022年12月、市内33カ所の避難所のうち、3カ所を「同室避難所」に指定しました。
奄美は台風常襲地帯です。地球温暖化に伴い、近年の台風は大型化し、強力になっています。与論島では全島民に避難指示が出たこともありますし、2010年の「奄美豪雨」の際は多くの人が避難所暮らしを余儀なくされました。しかし、ほとんどの避難所は「ペット不可」。奄美市環境対策課によると、市内の飼い犬登録(2023年5月現在)は1441匹、猫(同年2月現在)は1967匹です。これだけの数が家族の一員として暮らしています。災害時のペット対策は急務です。
うささんは奄美大島の獣医やペット関係者の協力を得て奄美市に働きかけます。2023年10月はうささんの活動に賛同する歌手の伍代夏子さんも同行し、安田壮平市長と面会しました。伍代さんは「ペットは家族。一緒に身を寄せる場所をまず一つつくってほしい」と要望しました。同行避難所の整備は安田市長のマニフェストの一つ。安田市長は「台風常襲地帯の奄美でペットの同室避難は以前からの課題。(訓練など)試験的に取り組みながら、前に進めたい」と回答。さらに、今年3月の奄美市議会で「同室避難が可能な避難所を2カ所選定した」と明らかにしました。市側が避難所を提供し、運営は獣医らで組織する「奄美大島ペット防災の会」が行う方向で調整が進められることになりました。うささんの活動と熱意がついに行政を動かしたのです。
私たちの価値観一つで救える命があります。うささんは著書「災害で消えた命」で述べています。「災害とは天災だけではなく、人間が生み出してしまう人災もあるのです。心ない人間にひどい目に遭わされたり、身勝手な理由で放棄されたりする動物もいます。私たち一人ひとりが相手を思いやる気持ちを少しずつ増やすことができたら、災害で追いやられる弱い立場の命も、人災に苦しむ命も減っていくのではないか、そう思うのです」
チームうーにゃんは、きょうも「小さな命」に寄り添う活動に奔走しています。
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文/久岡 学・元南海日日新聞社編集局長
1985年、南海日日新聞社入社。2018年4月~21年3月、編集局長。現在は嘱託で文化面の編集業務に当たる。主な著書(共著)は「田舎の町村を消せ」(南方新社)、「奄美戦後史」(同)、「奄美学」(同)、「『沖縄問題』とは何か」(藤原出版)など。「宇検村誌」「徳之島町史」にも執筆。
▽参考文献 「災害で消えた小さな命」(うさ著・毎日新聞出版)、Maki Tanaka(うさ)フェイスブック、南海日日新聞関係記事、神戸新聞NEXT(2月10日配信)▽写真協力 うささん、南海日日新聞社